ガザ、午前2時半
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/10/25 23:32 投稿番号: [600 / 2525]
http://www.onweb.to/palestine/siryo/2-30gaza-aug06.html
2006年8月19日
─ナブルス通信2006.10.24号による─
レバノン攻撃終結以来、パレスチナで起きていることの報道もめったにありませんが、秋になってもパレスチナ、とくにガザへの攻撃はやまず「夏の雨」作戦は犠牲者を増やし続けています。最近はさらに作戦の拡大をペレツ国防相が命令したばかり。
パレスチナ人権センターによると、この10月12日〜18日の1週間に殺されたパレスチナ人は28人(ガザで24人)。そのうち、2人の子どもとひとりの女性を含む17人が一般市民でした。2人の子どもたちはそれぞれの父親と共に殺されています。また、3回の暗殺攻撃で6人が超法規的に殺されました。負傷者は45人(うち、子ども14人、女性4人)。空爆で完全に壊された家は5軒、多数の家がダメージを受けています。これが1週間の出来事の要約です。
少し前の文章ですが、今も続くガザの様子を伝える文章をお届けします。
(中略)
私は現場に到着しました。自宅からはサッカー場の縦の長さくらいの距離でした。平屋建ての建物は壁がはがれ、コンクリートの柱が曲がり、窓もドアなく、ひどく破壊されていました。あとになって、それが爆撃前は3階建ての建物だったことを知りました。建物の反対側の通りは、破片や瓦礫に覆われています。2階と3階は吹き飛び、それぞれの階の天井は重なって一階の柱の上に乗っかっていたのです。
建物の周りには人々がたくさんいました。もっと大勢の人間が破壊された建物のなかで瓦礫を片付けています。後になり、これらの人たちが生存者を救出し、犠牲者を瓦礫の中から引き出していたことを知りました。私は建物から離れ、周囲を歩いてみることにしました。建物の裏手には空き地があります。私はそこに行ってみました。人はあまりたくさんいませんでした。私はそこに立ち、破壊された建物を見やります。
建物のなかには家族全員がいたんだということを、途中のどこかで耳にしました。
「家族を皆殺しにするような破壊をもたらしたのは誰だ?この建物に爆弾を落とせば、子どもや女性が殺されることを十分承知しながら、爆弾を落としたのはどこのどいつだ?」、そう考えると私の目は涙でいっぱいになりました。これらの質問に対する答えは、まだ見つけることができません。
混沌とする現場で、私は一人をつかまえて尋ねました。「ここは誰の家だったんですか」。その男は、ちらりと私を見てから答えました。「アブ・セルメイアのうちだ。ナビール・アブ・セルメイアだ」
アブ・セルメイアは隣人でした。でも、私には彼の顔を思い出そうとしましたが、思い出すことができませんでした。
「アッラー・アクバル…、木の下に半身の遺体があるぞ」という大きな声が聞こえ、私は現実に引き戻されました。私はその声の方をちらりと見ました。ちぎれた脚が一本あるだけの、着物にくるまり、灰色のほこりに覆われた下半身だけの遺体が見えました。
そういうおぞましい光景を目にするのはそれが初めてでした。
「アッラー・アクバル、この木の下に足が一本あるぞ」、声のした方に目をやると、青年がかがみこみ、靴を履いたままのちぎれた足を拾い上げるところでした。
「アッラー・アクバル、この木の下に頭のない子供の体がある」。背後から声がしました。私は別の青年が小さな遺体を抱え上げるのを見ました。その遺体に頭があったかどうか、見極めることなく私は目を離しました。
私は死者の数がすべて判明する前に、そこをあとにしました。「誰の遺骸も踏みつけたくない」、私はそう思いました。それで自分の足下に目をこらしながら、空き地の外へ来た道をたどりました。
そのころまでには何百人もの人々が集まっていました。救急車と消防車が到着し始めていました。救助の人手は、多すぎるほどでした。
私は涙で目があふれそうになりながら、ゆっくりと自宅へ戻りました。「家族を皆殺しにするような破壊をもたらしたのは誰だ?この建物に爆弾を落とせば、子どもや女性が殺されることを十分承知しながら、爆弾を落としたのはどこのどいつだ?」。ちぎれた遺体を目にしたあとで、これらの疑問はいっそう大きくなるばかりでした。しかし、答えは未だにわかりません。
翌日、両親と5人の娘、2人の息子が殺されたことを知りました。子どもたちの中には学校に上がる前の年齢のものもいたそうです。
(後略)
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虐殺はずっと続いている。
2006年8月19日
─ナブルス通信2006.10.24号による─
レバノン攻撃終結以来、パレスチナで起きていることの報道もめったにありませんが、秋になってもパレスチナ、とくにガザへの攻撃はやまず「夏の雨」作戦は犠牲者を増やし続けています。最近はさらに作戦の拡大をペレツ国防相が命令したばかり。
パレスチナ人権センターによると、この10月12日〜18日の1週間に殺されたパレスチナ人は28人(ガザで24人)。そのうち、2人の子どもとひとりの女性を含む17人が一般市民でした。2人の子どもたちはそれぞれの父親と共に殺されています。また、3回の暗殺攻撃で6人が超法規的に殺されました。負傷者は45人(うち、子ども14人、女性4人)。空爆で完全に壊された家は5軒、多数の家がダメージを受けています。これが1週間の出来事の要約です。
少し前の文章ですが、今も続くガザの様子を伝える文章をお届けします。
(中略)
私は現場に到着しました。自宅からはサッカー場の縦の長さくらいの距離でした。平屋建ての建物は壁がはがれ、コンクリートの柱が曲がり、窓もドアなく、ひどく破壊されていました。あとになって、それが爆撃前は3階建ての建物だったことを知りました。建物の反対側の通りは、破片や瓦礫に覆われています。2階と3階は吹き飛び、それぞれの階の天井は重なって一階の柱の上に乗っかっていたのです。
建物の周りには人々がたくさんいました。もっと大勢の人間が破壊された建物のなかで瓦礫を片付けています。後になり、これらの人たちが生存者を救出し、犠牲者を瓦礫の中から引き出していたことを知りました。私は建物から離れ、周囲を歩いてみることにしました。建物の裏手には空き地があります。私はそこに行ってみました。人はあまりたくさんいませんでした。私はそこに立ち、破壊された建物を見やります。
建物のなかには家族全員がいたんだということを、途中のどこかで耳にしました。
「家族を皆殺しにするような破壊をもたらしたのは誰だ?この建物に爆弾を落とせば、子どもや女性が殺されることを十分承知しながら、爆弾を落としたのはどこのどいつだ?」、そう考えると私の目は涙でいっぱいになりました。これらの質問に対する答えは、まだ見つけることができません。
混沌とする現場で、私は一人をつかまえて尋ねました。「ここは誰の家だったんですか」。その男は、ちらりと私を見てから答えました。「アブ・セルメイアのうちだ。ナビール・アブ・セルメイアだ」
アブ・セルメイアは隣人でした。でも、私には彼の顔を思い出そうとしましたが、思い出すことができませんでした。
「アッラー・アクバル…、木の下に半身の遺体があるぞ」という大きな声が聞こえ、私は現実に引き戻されました。私はその声の方をちらりと見ました。ちぎれた脚が一本あるだけの、着物にくるまり、灰色のほこりに覆われた下半身だけの遺体が見えました。
そういうおぞましい光景を目にするのはそれが初めてでした。
「アッラー・アクバル、この木の下に足が一本あるぞ」、声のした方に目をやると、青年がかがみこみ、靴を履いたままのちぎれた足を拾い上げるところでした。
「アッラー・アクバル、この木の下に頭のない子供の体がある」。背後から声がしました。私は別の青年が小さな遺体を抱え上げるのを見ました。その遺体に頭があったかどうか、見極めることなく私は目を離しました。
私は死者の数がすべて判明する前に、そこをあとにしました。「誰の遺骸も踏みつけたくない」、私はそう思いました。それで自分の足下に目をこらしながら、空き地の外へ来た道をたどりました。
そのころまでには何百人もの人々が集まっていました。救急車と消防車が到着し始めていました。救助の人手は、多すぎるほどでした。
私は涙で目があふれそうになりながら、ゆっくりと自宅へ戻りました。「家族を皆殺しにするような破壊をもたらしたのは誰だ?この建物に爆弾を落とせば、子どもや女性が殺されることを十分承知しながら、爆弾を落としたのはどこのどいつだ?」。ちぎれた遺体を目にしたあとで、これらの疑問はいっそう大きくなるばかりでした。しかし、答えは未だにわかりません。
翌日、両親と5人の娘、2人の息子が殺されたことを知りました。子どもたちの中には学校に上がる前の年齢のものもいたそうです。
(後略)
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虐殺はずっと続いている。
これは メッセージ 593 (jyonnconner さん)への返信です.
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