頑張れパレスチナ!(第2版)

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イスラエルに破壊されたパレスチナの村々3

投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/12/01 01:00 投稿番号: [1193 / 2525]
●1956年、カセム村の村民は、外出禁止令を申し渡された。命令発効のたった30分前である。多くの村民は遠く働きに行っていて、30分以内に村に戻れないことは明らかだった。命令を受けたイスラエル兵は、「女、子供はどうするのか」と質問した。上官は「哀れみをかけるな」と言った。こうして、仕事から次々と帰村した村民47人が、待ち伏せされ、並ばれて処刑されたのである。最後に死んだのは、トラックに乗っていた女性14人を含む17人である。

イスラエルでこの事件の報道管制を敷いている間に、ヨーロッパにこのニュースが伝わり、政府は事件を隠しおおせなくなった。責任者たちは裁判にかけられた。しかし次々と減刑され、判決から1年半で、全員が釈放される。しかもその1人は市役所のアラブ課の責任者として迎えられたのである。最高責任者は「単なる技術上の過失」を犯したとして、実に10円にも満たない形式だけの罰金で釈放された。


●1943年にイギリスが施行した「公益のための土地取得法」も適用された。政府の建物を建てるという理由で、ナザレの広大な土地が没収され、そこにユダヤ人だけ住める街、アッパー・ナザレが建てられた。

これ以外にも、村民を車に乗せて国境まで連れて行き、銃で銃殺した例は枚挙にいとまがない。1949年のアナン村、クファル・ヤシフ村、1950年のマジュダル村の人々、そして1959年には多数のベドウィンが、ヨルダンやエジプトに追放されている。

こうして取得された土地は、全てユダヤ国民基金の手に移され、そこからユダヤ人入植者に渡された。土地が政府のものなら、その土地は国民であるユダヤ人とパレスチナ人のために用いなければならないが、ユダヤ国民基金のものなら、ユダヤ人のためだけに用いることができるからである。


●1973年4月、ナブルス東南6マイルのところにある小さなパレスチナ人の村、アクラバで、4000人の農民たちが自分たちの土地を売ることを拒絶したとき、イスラエル当局は凄まじい行動を起こした。

彼らはバイパー機でアクラバ村上空を飛行し、村の小麦畑にあろうことか枯葉剤を撒き散らし、一夜にして全ての小麦をダメにしてしまったのである。彼らは厚かましくもこの過激な行動を素直に認め、それはただ「イスラエル軍が立ち入るなといった土地で頑固に農耕を続けている村民たちに教訓を与える」ためだとの声明を出していた。


●また、パレスチナ人のゲリラ活動が活発になり始めると、イスラエル政府はこれらゲリラ活動に厳罰で対処していったのだが、1人のゲリラが出たら、彼の家族の住む家を爆破し、やがて付近の住居全部をダイナマイトとブルドーザーで破壊していった。ナチスの用いたような「共同懲罰刑」を課したのである。

ヒルフール市では一度に30軒の家が破壊された。やがてガザのキャンプでは、イスラエル軍のパトロールが行ないやすいようにと、家々を破壊して道路が広げられることになった。子供のデモも容赦なかった。デモ規制による死者が増え、ヨルダンへの追放、逮捕、拷問が伝えられるようになった。

そのほか、ヨルダン川を渡って戻ってこようとしたパレスチナ難民が、女・子供の区別なく、警告なしに次々と殺害されていったこともイスラエルで暴露された。


●イスラエルの歴史は、隠されている。そして人々はそれを知っているけれども、口をつぐんでいる。それに言及すれば、自分がそこに住む正当性がなくなるからだ。最初のうちイスラエル政府のやり方に抗議していた人々も、やがて沈黙していった。むしろ左派に属する人ほどその傾向が強い。最近では極右の人は堂々と言うようである。

「なるほど、俺たちは不正を犯した。しかしそれがどうだっていうんだ。ここは神が俺たちに与えた土地なのだ……」

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侵略による民族浄化は現在もなお進行している。
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