ナチスとシオニストの協力関係12
投稿者: jyonnconner 投稿日時: 2006/11/27 00:31 投稿番号: [1147 / 2525]
■■追加情報 5:
フォン・ボルシュビングと「ゲーレン機関」
■■フォン・ボルシュビング
●戦後CIAは、アイヒマンの部下を工作員として採用していたことが知られている。採用されたのは、フォン・ボルシュビングである。
1932年、23歳でナチ党に入党したボルシュビングは、直ちにナチスの保安部(SD)の情報提供者となる。そして1939年までには、エルサレムで貿易商を営むかたわら、中東における代表的な工作員となった。
●ボルシュビングが最初に携わったスパイ活動の1つは、好戦的なシオニズム・テロ組織「ハガナ」の指導者ポルケスとの間で秘密協定を結ぶことであった。ボルシュビングは、中東での仕事仲間を通して、シオニスト・ユダヤ人ポルケスと面識があったのだ。
協定によれば、「ハガナ」は、ドイツ国内にいるユダヤ人青年男女を訓練キャンプに採用することを許された。これらユダヤ人青年男女は、ドイツから追放された他のユダヤ人と同じく、パレスチナヘの移民を奨励されていた。その代わりに「ハガナ」は、パレスチナにおけるイギリスの情報をSS(ナチス親衛隊)に提供することに同意したのである。
●シオニスト・ユダヤ人ポルケスは、ナチスのユダヤ人迫害がますます激しくなっても、パレスチナヘの強制移住によって、シオニズムには有利であると信じていた。
更に、ポルケスの唯一の収入源はSSの秘密資金であった。この交渉の過程で、若きボルシュビングはまだ無名だったアイヒマンの信頼を勝ち取ったのである。
●当時アイヒマンは、ユダヤ人問題の専門家であった。ウィーンとカイロで、アイヒマンとポルケスの会談を設定したことがもとで、ボルシュビングとアイヒマンの関係は、単なる知り合い以上のものとなった。
アイヒマンは、ボルシュビングとつながりを持つことでSSにおける「ユダヤ人問題の専門家」という地位を確立したのである。
●アイヒマンは後にこう語っている。
「私が初めてユダヤ人問題に取り組んだのは、私の上司フォン・ミルデンシュタインがボルシュビングとともに私の事務所を訪れてからだった。決してその前ではなかった。」
「ボルシュビングはよく私の事務所に立ち寄り、パレスチナの話をしてくれた。パレスチナをはじめとする各地のシオニズムの目的や情勢について、彼は詳しく話してくれた。おかげで私も、次第にシオニズムに精通していった。……私はボルシュビングと連絡を取り続けた。というのも、私が仕事上最も興味を持っていた国の一次情報を提供してくれるのは、彼以外にいなかったからである。」
●第二次世界大戦終結間際になると、ボルシュビングは、そうすることが有利だと見るやSSの同志たちを見捨て、彼らの運命を天にまかせた。アメリカ軍部隊がオーストリア西部に侵攻した1945年の春までに、ボルシュビングは連合国に協力し始めた。
ボルシュビングは「ゲーレン機関」に採用され、後にCIAはボルシュビングに、資金や最高度のセキュリティ・クリアランス(保全許可=秘密区分の高い情報に対する接近許容度)、それにヨーロッパ中を移動できる特権を与えていた。
彼は、戦後、ヨーロッパでCIAに雇われていた契約工作員の中でも高い地位にのぼった。工作員に目をつけ採用するほか、ルーマニアに工作員を潜入させる越境工作を専門にしていた。
●ボルシュビングは、1949年の終わりには「ゲーレン機関」を離れた。そしてアメリカからの支援のもと、「ゲーレン機関」と並行して活動するもう1つの小規模のドイツ情報機関を設立するための工作活動に参加した。新しい情報機関は、アメリカのためにゲーレンの行動を注意深く監視すると同時に、東欧への浸透を続けたのである。
(後略)
------------------------
ま、基礎知識レベルの話し。
■■フォン・ボルシュビング
●戦後CIAは、アイヒマンの部下を工作員として採用していたことが知られている。採用されたのは、フォン・ボルシュビングである。
1932年、23歳でナチ党に入党したボルシュビングは、直ちにナチスの保安部(SD)の情報提供者となる。そして1939年までには、エルサレムで貿易商を営むかたわら、中東における代表的な工作員となった。
●ボルシュビングが最初に携わったスパイ活動の1つは、好戦的なシオニズム・テロ組織「ハガナ」の指導者ポルケスとの間で秘密協定を結ぶことであった。ボルシュビングは、中東での仕事仲間を通して、シオニスト・ユダヤ人ポルケスと面識があったのだ。
協定によれば、「ハガナ」は、ドイツ国内にいるユダヤ人青年男女を訓練キャンプに採用することを許された。これらユダヤ人青年男女は、ドイツから追放された他のユダヤ人と同じく、パレスチナヘの移民を奨励されていた。その代わりに「ハガナ」は、パレスチナにおけるイギリスの情報をSS(ナチス親衛隊)に提供することに同意したのである。
●シオニスト・ユダヤ人ポルケスは、ナチスのユダヤ人迫害がますます激しくなっても、パレスチナヘの強制移住によって、シオニズムには有利であると信じていた。
更に、ポルケスの唯一の収入源はSSの秘密資金であった。この交渉の過程で、若きボルシュビングはまだ無名だったアイヒマンの信頼を勝ち取ったのである。
●当時アイヒマンは、ユダヤ人問題の専門家であった。ウィーンとカイロで、アイヒマンとポルケスの会談を設定したことがもとで、ボルシュビングとアイヒマンの関係は、単なる知り合い以上のものとなった。
アイヒマンは、ボルシュビングとつながりを持つことでSSにおける「ユダヤ人問題の専門家」という地位を確立したのである。
●アイヒマンは後にこう語っている。
「私が初めてユダヤ人問題に取り組んだのは、私の上司フォン・ミルデンシュタインがボルシュビングとともに私の事務所を訪れてからだった。決してその前ではなかった。」
「ボルシュビングはよく私の事務所に立ち寄り、パレスチナの話をしてくれた。パレスチナをはじめとする各地のシオニズムの目的や情勢について、彼は詳しく話してくれた。おかげで私も、次第にシオニズムに精通していった。……私はボルシュビングと連絡を取り続けた。というのも、私が仕事上最も興味を持っていた国の一次情報を提供してくれるのは、彼以外にいなかったからである。」
●第二次世界大戦終結間際になると、ボルシュビングは、そうすることが有利だと見るやSSの同志たちを見捨て、彼らの運命を天にまかせた。アメリカ軍部隊がオーストリア西部に侵攻した1945年の春までに、ボルシュビングは連合国に協力し始めた。
ボルシュビングは「ゲーレン機関」に採用され、後にCIAはボルシュビングに、資金や最高度のセキュリティ・クリアランス(保全許可=秘密区分の高い情報に対する接近許容度)、それにヨーロッパ中を移動できる特権を与えていた。
彼は、戦後、ヨーロッパでCIAに雇われていた契約工作員の中でも高い地位にのぼった。工作員に目をつけ採用するほか、ルーマニアに工作員を潜入させる越境工作を専門にしていた。
●ボルシュビングは、1949年の終わりには「ゲーレン機関」を離れた。そしてアメリカからの支援のもと、「ゲーレン機関」と並行して活動するもう1つの小規模のドイツ情報機関を設立するための工作活動に参加した。新しい情報機関は、アメリカのためにゲーレンの行動を注意深く監視すると同時に、東欧への浸透を続けたのである。
(後略)
------------------------
ま、基礎知識レベルの話し。
これは メッセージ 1146 (jyonnconner さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834682/4hda5a4la5qa5la59a5aa5ja1aaa1jbha32hga1k_1/1147.html