「日常的なテロの脅威」そのものでした
投稿者: native_born_lonely 投稿日時: 2003/04/25 20:26 投稿番号: [1611 / 2453]
どうもです。
>過去投稿で昨年2度もイスラエルに行かれたとありましたが、大丈夫だったんでしょうか?
昨年「2度目」の訪問をしましたが、どこも閑散としていました。アメリカ英語のご婦人がヘラヘラ笑いながら嘆きの壁の前で写真を撮って貰っている姿が妙に浮き上がって目立っていましたね。
なにしろ回りにはほとんど観光客がいないし、厳重な警備のある場所を一歩離れれば、誰もが他人の荷物の「中身」に目配せを欠かさないといった緊張感があるようでした。
現地人にウエストバンクへの同行を求めたら、真剣にびびってました。結局、レンタカーで回ったのですが、私が感じる以上に彼の様子がいたたまれず、すぐに一人旅に切り替えた次第です。
ナビが無いので道を間違えまくったせいか、アラブ人の町はかなり入り込んでしまいました。概ね普通に生活はしている、という感じです。というより、生活さえできればアブなっかしい「教義」なんてどうでもいい、というのが彼らの本音だとしか思えませんでした(もちろん上滑りの観察にすぎませんが)。
テルアビブからネタニヤにかけての発展ぶりが印象的でしたが、そのときには、インティファーダの動機には、「怒り」や「絶望」だけでなく「羨望」というものが相当あるはずだと感じました。まあともかく隔世の観のある世俗化ではありました。
ネタニヤの町の様子をビデオやらカメラやらで撮影した数日後に、同じ場所でかなり大きなテロがあって、ぞっとされられたと同時に、あまり長々とアジア人の顔をしたよそ者がこの国を彷徨いているのは失礼だな、とも感じた次第です。
その前の「1回目」は初期の「投石」インティファーダの頃でした。考えて見れば、当時のあの子供たちが、二十歳から二十五歳ぐらいの、自爆テロの「適齢期」に成長しているわけです。
彼らの母親はともかく(おそらく悲嘆にくれた姿を見せ続けることがこの十数年だったのでしょうか)、父親を含めた回りの大人たちは、どんな「教育」「刷り込み」「暗示」といったことを、延々と続けてきていたのだろう、とも思います。
なにしろこの間には「オスロ合意」前後の和平ムードといった時期もあった訳ですから、決して「絶望」だけが人格形成のときの世界観だったはずはありません。その意味でも、安易に「絶望」という宣伝文句をそのまま真に受けるわけにはいかない――。
現地のパレスチナ人たちと話していても、そう思いました。通りすがりのよそ者と話すときに、テロ的な「決意」を胸に秘めているなら、"business"という単語は、自然な形では使われない、というのが「死に駆り立てられるほどの絶望」というイメージに作り物のいかがわしさを感じたひとつの例です。互いに「商売」という形で平和的に関わり合うことができるという現実を認識している人たちは、圧倒的に多かった。
一部の大人たちが、一部の子供たちに与えてきたものが、「教育」なのか無言の示唆なのか、いずれにしても、そういった、人為的で意図的な悪意というものが介在していたと考えなければ、あの子供たちのこの十数年というものを常識的に理解することはできません。
そういえば、他でも書いたことのある下世話な例ですが、今の若いイスラエル人女性たちは驚くほどsophisticateされてきていますね。とてもキブツのネーチャンといった感じではない。というより、テルアビブのショッピングセンターからロンドンやパリ、ベルリンあたりに飛んだのですけど、まあ世界中で一番「カッコイイ」というか「クール」なというか、ファッショナブルな女の子たちだったと思い返したものです。
聞けば、東欧からの移民が激増した十年ほど前(?)の子供たちが育ってきたということだそうです……。そう言う意味でも、世論受けしやすい「絶望」なのか、「羨望」や「諦め」なのか、という印象は改めて考えさせられるところです。死に向かった若者たちの魂を思うと、悪戯に誤解を招く表現は慎むべきですが。
また話しが戻りますが、今の状況下で、外国人がイスラエルに行くのならば、よほど現地の人たちの心境を考えた行動が必要だと思いました。社会生活における「日常性の不在」といった現状は、心痛むという表現では尽くせないほど深刻でした。
自分が巻き込まれる恐怖感というより、精神的なダメージがそのまま伝染してくるような感覚があります。だからこそ、彼らの精神力の強靱さにあらためて驚かされたところもありました。まさに「頑張れイスラエル」という思いです。
>過去投稿で昨年2度もイスラエルに行かれたとありましたが、大丈夫だったんでしょうか?
昨年「2度目」の訪問をしましたが、どこも閑散としていました。アメリカ英語のご婦人がヘラヘラ笑いながら嘆きの壁の前で写真を撮って貰っている姿が妙に浮き上がって目立っていましたね。
なにしろ回りにはほとんど観光客がいないし、厳重な警備のある場所を一歩離れれば、誰もが他人の荷物の「中身」に目配せを欠かさないといった緊張感があるようでした。
現地人にウエストバンクへの同行を求めたら、真剣にびびってました。結局、レンタカーで回ったのですが、私が感じる以上に彼の様子がいたたまれず、すぐに一人旅に切り替えた次第です。
ナビが無いので道を間違えまくったせいか、アラブ人の町はかなり入り込んでしまいました。概ね普通に生活はしている、という感じです。というより、生活さえできればアブなっかしい「教義」なんてどうでもいい、というのが彼らの本音だとしか思えませんでした(もちろん上滑りの観察にすぎませんが)。
テルアビブからネタニヤにかけての発展ぶりが印象的でしたが、そのときには、インティファーダの動機には、「怒り」や「絶望」だけでなく「羨望」というものが相当あるはずだと感じました。まあともかく隔世の観のある世俗化ではありました。
ネタニヤの町の様子をビデオやらカメラやらで撮影した数日後に、同じ場所でかなり大きなテロがあって、ぞっとされられたと同時に、あまり長々とアジア人の顔をしたよそ者がこの国を彷徨いているのは失礼だな、とも感じた次第です。
その前の「1回目」は初期の「投石」インティファーダの頃でした。考えて見れば、当時のあの子供たちが、二十歳から二十五歳ぐらいの、自爆テロの「適齢期」に成長しているわけです。
彼らの母親はともかく(おそらく悲嘆にくれた姿を見せ続けることがこの十数年だったのでしょうか)、父親を含めた回りの大人たちは、どんな「教育」「刷り込み」「暗示」といったことを、延々と続けてきていたのだろう、とも思います。
なにしろこの間には「オスロ合意」前後の和平ムードといった時期もあった訳ですから、決して「絶望」だけが人格形成のときの世界観だったはずはありません。その意味でも、安易に「絶望」という宣伝文句をそのまま真に受けるわけにはいかない――。
現地のパレスチナ人たちと話していても、そう思いました。通りすがりのよそ者と話すときに、テロ的な「決意」を胸に秘めているなら、"business"という単語は、自然な形では使われない、というのが「死に駆り立てられるほどの絶望」というイメージに作り物のいかがわしさを感じたひとつの例です。互いに「商売」という形で平和的に関わり合うことができるという現実を認識している人たちは、圧倒的に多かった。
一部の大人たちが、一部の子供たちに与えてきたものが、「教育」なのか無言の示唆なのか、いずれにしても、そういった、人為的で意図的な悪意というものが介在していたと考えなければ、あの子供たちのこの十数年というものを常識的に理解することはできません。
そういえば、他でも書いたことのある下世話な例ですが、今の若いイスラエル人女性たちは驚くほどsophisticateされてきていますね。とてもキブツのネーチャンといった感じではない。というより、テルアビブのショッピングセンターからロンドンやパリ、ベルリンあたりに飛んだのですけど、まあ世界中で一番「カッコイイ」というか「クール」なというか、ファッショナブルな女の子たちだったと思い返したものです。
聞けば、東欧からの移民が激増した十年ほど前(?)の子供たちが育ってきたということだそうです……。そう言う意味でも、世論受けしやすい「絶望」なのか、「羨望」や「諦め」なのか、という印象は改めて考えさせられるところです。死に向かった若者たちの魂を思うと、悪戯に誤解を招く表現は慎むべきですが。
また話しが戻りますが、今の状況下で、外国人がイスラエルに行くのならば、よほど現地の人たちの心境を考えた行動が必要だと思いました。社会生活における「日常性の不在」といった現状は、心痛むという表現では尽くせないほど深刻でした。
自分が巻き込まれる恐怖感というより、精神的なダメージがそのまま伝染してくるような感覚があります。だからこそ、彼らの精神力の強靱さにあらためて驚かされたところもありました。まさに「頑張れイスラエル」という思いです。
これは メッセージ 1610 (adventureoftheultraworld さん)への返信です.
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