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希望

投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2003/02/03 21:34 投稿番号: [1422 / 2453]
つづき
》   一方、ヌクラーシーがエジプト軍の介入について軍首脳に要請したとき、一部の軍の指導者は戦闘態勢の不十分なこ
》 とを理由に反対した。彼自身もその事実を知っていた。パレスティナの事態が深刻化するに伴い、エジプト政府はすで
》 に3000人からなる一個旅団を国境の町エル・アリーシュに送っていたが、これは軍事的デモンストレーションとし
》 てであった。その一方で、政府はアラブ人住民の安全が確保されるまでは軍隊の撤退を思いとどまるようにとイギリス
》 に働きかけた。
》   結局、エジプトの公式介入を促した最も有力な要因は、国内におけるパレスティナ・アラブへの同情の強さであった。
》 政治指導者は世論の燃え上がりを無視できなくなっていた、対英関係の処理に行きづまり打つ手を失っていた政府は、
》 危機的な国内状況を切り抜けるためにも強硬な世論のエネルギーを外に、つまりパレスティナ問題に転嫁しないわけに
》 はいかなくなっていた。

》   政府決定を討議するため開かれた秘密会議では、イスマーイール・スィドキー前首相がだたひとり公式介入に反対し
》 た。その理由として彼は、エジプト軍には戦闘に必要な武器や弾薬が不足していること、介入は国連決議に対する侵害
》 とみなされること、さらに深刻な国内問題をかかえたエジプトにはパレスティナの問題にさくエネルギーなどないと述
》 べたうえ、結局いかなる戦いもエジプトにとってなんら利益ならならいと主張した。これに対してワフド党は、この主
》 張を強く論難し、政府決定の支持を表明した。結局、スィドキーは退席を余儀なくされ、会議は全員一致で政府の決定
》 を承認した。

》   5月14日6時、エジプトでは全土に戒厳令がしかれ、その翌日、イギリスの委任統治の終了とともにエジプトはエ
》 ル・アリーシュに駐留していた軍隊をパレスティナへ出動させた。
http://www.sakuhokusha.co.jp/cover/ejiputo.htm
(大事な本はあまりOCRを使いたくなかったんだけどね。それに心苦しい引用量だし、結局得るものは無さそうだし。)


  同書によると当初は『むしろ政府はイギリスの委任統治を認める態度を示していた。新聞や雑誌にシオニズムやユダヤ人の「ナショナル・ホーム」に同情的な記事や寄稿が見られたのも特徴的であった。』そうです。
  それが36年条約締結によって対外政策の自由度が増したのとは裏腹に、国内では英国の影響力はむしろ強まっていったちょうど同じ頃、パレスチナでは完全独立を目指す「アラブの叛乱」が起こり、同情と対英闘争への理解が国内に形成されていったのです。
  それでも「他のアラブ諸国の代表よりも一層和解的で調停者的な姿勢をとり続けたことであった。それはアラブ代表とユダヤ人代表の間で行われた秘密会議の席上、エジプトの実質的スポークスマンであるアリー・マーヘルが示した見解に現れていた。マーヘルはシオニズム運動に同情的ともとれる考え方を展開し、他のアラブ代表が示した敵対的な態度と大きな対照をなした。」そうです。それが、42年のアプディン宮殿事件によって一層激しい反英ナショナリズムが起こり、パレスチナの事態の悪化がイスラム教徒としてのエジプト人を刺激した訳です。
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