>食い違い(1)
投稿者: ojin_8823 投稿日時: 2003/01/27 17:47 投稿番号: [1375 / 2453]
>>>超過激組織にあれほど念を押して襲撃させれば、虐殺が起きても不思議ではないのに、なんかショックを受けたような素振りを見せるのはちょっとね。おまけにパレスチナ代表機関やアラブ連盟ではなく、同じ侵略の意図があるヨルダンに謝罪するところが茶番だよね。ただし、虐殺が計画的だったのかは不明ですよ。
>>
>>わかって下さい、指揮官が知らぬときのショックを(爆)。
>
>指揮官とはベングリオンでいいのかな?
▲ということになってますね。
>>>っで、「血の雨を降らす」みたいな激しい言葉のわりに、やっていることは経済封鎖です、今でも平和的手段としてイラクや北朝鮮が対象になってますよね。それによって15万人中2500人が犠牲になってますが、それを憂慮するのなら「アラブの降伏勧告に従え」とユダヤ機関が言うのが筋でしょう、人命第一ならばね。
>>
>>▲「赤ズキンちゃんと狼」の、狼役のアラブ人の成りそこない marchingpeople さんの言いそうなことだね♪
>>100 万語辞書の英訳ソフトをキチンと働かせましょうや(笑)。 降伏してきた者を「皆殺し」にしても、平和的手段だってかい(笑)?
>>
>>( On May 4, 1948, the Arab Legion attacked Kfar Etzion. ・・・)
>>Many defenders were massacred after they had surrendered.
>>http://www.us-israel.org/jsource/History/1948_War.html
>
>・その皆殺しの件は5月4日、つまりダレット計画発令によってアラブ社会の破壊と住民の追放、虐殺の後に起きた報復です。話が前後してますね
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1365
▲また、違うことを(苦笑)。 それは、正規の第一次中東戦争が起こる5月14日の10日前の、パレスチナ戦争の最中でしょうに(呆)。 アラブ人は皆、避難して難民になったのでは? それなのに、いったい誰がユダヤ人を殺害したのでしょうね?
『アラブ側は、1948年2月9日のアラブ連盟(1945年3月22日結成)総会で、パレスチナのユダヤ人国家建設を断固阻止するという決議を採択しました。パレスチナではハジ・アミン・アル・フセイニ(イラクでの反乱失敗後はナチの庇護を受けていたが、アラブ諸国の反発を恐れて連合国は訴追しなかった)の元に再び過激派が結集します。アル・フセイニ自身はパレスチナから追放処分をうけていたので(一応、まだパレスチナはイギリスの統治下だった )レバノンにとどまりましたが、そこで「アラブ救世軍」を結成し、二人の甥に指揮を執らせました。この甥は二人とも、ナチの武装SS(←ナチ民族主義の牙城のようだが、外国人の方が多い師団もあった)で経験を積んだベテランで、特にアブドゥル・カデルという人物は、勇者として兵士の尊敬を集めていました。シリアではエル・カブーキが「アラブ解放軍」という義勇兵組織を創設しています。また、ヨルダンにはイギリス人グラブ中将率いる「アラブ軍団」がありました。このアラブ軍団は、一万人のエリート兵士からなる師団で、戦車や重砲も備えた中東で最大の戦力を持つ戦闘部隊でした。
1948年3月、テルアビブでユダヤ人国家の臨時政府「ユダヤ国民評議会」が発足し、ベングリオンはその長に任じられました。同時に、ハガナーが、181号決議で定められたユダヤ人地区を防衛すべく、(テロではない)組織的に軍事行動を開始します。これに対して、アブドゥル・カデルのアラブ救世軍がエルサレムのユダヤ人地区を包囲しました。いよいよ本格的な戦いが始まったのです。旧市街のユダヤ人達は皆、生命の危機に曝されますが、包囲線を突破しようとする試みは全て失敗し、救出部隊も撃退されました。ユダヤ側はいきなり劣勢に立たされてしまいます。
追い詰められたハガナーは、起死回生の策として「ダレット計画」を発動しました。これは大規模な破壊活動で181号決議で定められたユダヤ人地域内のアラブ社会を破壊し、住人を全て追い払おうという計画でした。これまで被迫害者だったユダヤ人が迫害者に変わった瞬間でしたが、破壊活動の前にエルサレム−テルアビブ間の連絡線を確保しなければならないため、起死回生どころか無謀な計画でした。1948年4月1日、テルアビブ−エルサレム間の連絡線の奪還を目指す「ナハション作戦」が開始されます。これはハガナー初の大規模軍事行動でしたが、失敗。しかし、アブドゥル・カデルの首級を
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>>わかって下さい、指揮官が知らぬときのショックを(爆)。
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>指揮官とはベングリオンでいいのかな?
▲ということになってますね。
>>>っで、「血の雨を降らす」みたいな激しい言葉のわりに、やっていることは経済封鎖です、今でも平和的手段としてイラクや北朝鮮が対象になってますよね。それによって15万人中2500人が犠牲になってますが、それを憂慮するのなら「アラブの降伏勧告に従え」とユダヤ機関が言うのが筋でしょう、人命第一ならばね。
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>>▲「赤ズキンちゃんと狼」の、狼役のアラブ人の成りそこない marchingpeople さんの言いそうなことだね♪
>>100 万語辞書の英訳ソフトをキチンと働かせましょうや(笑)。 降伏してきた者を「皆殺し」にしても、平和的手段だってかい(笑)?
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>>( On May 4, 1948, the Arab Legion attacked Kfar Etzion. ・・・)
>>Many defenders were massacred after they had surrendered.
>>http://www.us-israel.org/jsource/History/1948_War.html
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>・その皆殺しの件は5月4日、つまりダレット計画発令によってアラブ社会の破壊と住民の追放、虐殺の後に起きた報復です。話が前後してますね
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1834682&tid=4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa&sid=1834682&mid=1365
▲また、違うことを(苦笑)。 それは、正規の第一次中東戦争が起こる5月14日の10日前の、パレスチナ戦争の最中でしょうに(呆)。 アラブ人は皆、避難して難民になったのでは? それなのに、いったい誰がユダヤ人を殺害したのでしょうね?
『アラブ側は、1948年2月9日のアラブ連盟(1945年3月22日結成)総会で、パレスチナのユダヤ人国家建設を断固阻止するという決議を採択しました。パレスチナではハジ・アミン・アル・フセイニ(イラクでの反乱失敗後はナチの庇護を受けていたが、アラブ諸国の反発を恐れて連合国は訴追しなかった)の元に再び過激派が結集します。アル・フセイニ自身はパレスチナから追放処分をうけていたので(一応、まだパレスチナはイギリスの統治下だった )レバノンにとどまりましたが、そこで「アラブ救世軍」を結成し、二人の甥に指揮を執らせました。この甥は二人とも、ナチの武装SS(←ナチ民族主義の牙城のようだが、外国人の方が多い師団もあった)で経験を積んだベテランで、特にアブドゥル・カデルという人物は、勇者として兵士の尊敬を集めていました。シリアではエル・カブーキが「アラブ解放軍」という義勇兵組織を創設しています。また、ヨルダンにはイギリス人グラブ中将率いる「アラブ軍団」がありました。このアラブ軍団は、一万人のエリート兵士からなる師団で、戦車や重砲も備えた中東で最大の戦力を持つ戦闘部隊でした。
1948年3月、テルアビブでユダヤ人国家の臨時政府「ユダヤ国民評議会」が発足し、ベングリオンはその長に任じられました。同時に、ハガナーが、181号決議で定められたユダヤ人地区を防衛すべく、(テロではない)組織的に軍事行動を開始します。これに対して、アブドゥル・カデルのアラブ救世軍がエルサレムのユダヤ人地区を包囲しました。いよいよ本格的な戦いが始まったのです。旧市街のユダヤ人達は皆、生命の危機に曝されますが、包囲線を突破しようとする試みは全て失敗し、救出部隊も撃退されました。ユダヤ側はいきなり劣勢に立たされてしまいます。
追い詰められたハガナーは、起死回生の策として「ダレット計画」を発動しました。これは大規模な破壊活動で181号決議で定められたユダヤ人地域内のアラブ社会を破壊し、住人を全て追い払おうという計画でした。これまで被迫害者だったユダヤ人が迫害者に変わった瞬間でしたが、破壊活動の前にエルサレム−テルアビブ間の連絡線を確保しなければならないため、起死回生どころか無謀な計画でした。1948年4月1日、テルアビブ−エルサレム間の連絡線の奪還を目指す「ナハション作戦」が開始されます。これはハガナー初の大規模軍事行動でしたが、失敗。しかし、アブドゥル・カデルの首級を
これは メッセージ 1363 (marchingpeople さん)への返信です.
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