アラブ移民問題
投稿者: marchingpeople 投稿日時: 2003/01/23 13:02 投稿番号: [1350 / 2453]
こんにちは、f3nasaさん
> 第一次中東戦争後、アラブ諸国に住み着いていたユダヤ人は 87 万人で、アラブによる反ユダヤ運
> 動等により多数の人が犠牲になったそうですが、難民として命からがら逃げてきた人が、取り敢え
> ずイスラエルに逃げ込む事が出来たのはこの政策のお陰です。
シオニストによる建国後も残った反アラブ政策とこの問題の関連性は?
誉められた反応ではありませんが、87万人が一夜にして追放されたのですか?
87万人全てが本人の意思ではなく強制されたのですか?
難民として命からがら逃げてきた人が、どうやってシナイ半島などの砂漠地帯を越えたのですか?
この政策と平行してアラブ難民受け入れ政策を実行していれば、ユダヤ難民のアラブ諸国への帰還も可能だったのでは?
> 一方、エジプトとヨルダンとイスラエルに追い出される形になったアラブ難民は 72 万 5000 人で、
> 安心して生活を営める環境の代わりにテロリスト訓練用の基地と武器を備えた難民キャンプを提br>> されたのはアラブの政策のお陰です。
難民を政治的に利用した部分は否定しません。そのおかげでまともな生活をしようと思うなら国外でとなり、多くのパレスチナ著名人がパレスチナ以外で市民権を得ています。しかしながら、そもそもユダヤ国家、国際都市エルサレム、戦争によって獲得した領土から、アラブ人が殆ど追放され残ったのが15万人だった事にも注目して下さい。
また難民問題については国連調停委員会が、帰還を望む者は可能な限り早く、望まぬ者には失った財産の補償するよう勧告したのに対し。アラブは同意したが、シオニストは難民はアラブでの再定住化を主眼とし10万にのみ受け入れる、補償問題には協力すると、得るものが多かった割に突っぱねます。
分割案に準じた独立宣言の精神は?、『流血のこの時でさえ、我々はこの国におけるパレスチナ・アラブ人との平和回復を求める。我々はアラブ市民に帰宅するよう求める。我々はこの国のすべての政府代表機関に基づき、彼らの完全なる市民権を保証する。我々は相互協力を始めるために、隣人であるアラブ国家に友情の手を差し出している。我々は、中東再興の一端を担う用意がある。』
でわ、本題。
》 1920年代から1930年代にかけてのユダヤ人社会の発展が引き起こしたパレスチナの変化を、米国の学者P・A・
》 スミスはその著『パレスチナとパレスチナ人 1876−1983』で詳しく述べている。
》 それによると、ユダヤ人社会は比較的豊富な資金力によって支えられていた。1920年から1935年までの間に、
》 パレスチナに流入したユダヤ資本の総額は約9000万ポンド。これは同じ時期の英委任統治政庁の支出総額の3倍に
》 あたる。(イスラエルとパレスチナ 立山 良司 著)
この資金はユダヤ共同体内で循環するのですが、土地の購入などによりアラブ人もその恩恵を受けたでしょう。当然、成金は金を使いまくりますから他のアラブ人も景気が良かったと思いますよ。その生活水準の向上による人口増加と、ある意味、都市化から阻害された農民を中心とする貧困化による人口増加が重なったのでしょう。
> 第一次中東戦争後、アラブ諸国に住み着いていたユダヤ人は 87 万人で、アラブによる反ユダヤ運
> 動等により多数の人が犠牲になったそうですが、難民として命からがら逃げてきた人が、取り敢え
> ずイスラエルに逃げ込む事が出来たのはこの政策のお陰です。
シオニストによる建国後も残った反アラブ政策とこの問題の関連性は?
誉められた反応ではありませんが、87万人が一夜にして追放されたのですか?
87万人全てが本人の意思ではなく強制されたのですか?
難民として命からがら逃げてきた人が、どうやってシナイ半島などの砂漠地帯を越えたのですか?
この政策と平行してアラブ難民受け入れ政策を実行していれば、ユダヤ難民のアラブ諸国への帰還も可能だったのでは?
> 一方、エジプトとヨルダンとイスラエルに追い出される形になったアラブ難民は 72 万 5000 人で、
> 安心して生活を営める環境の代わりにテロリスト訓練用の基地と武器を備えた難民キャンプを提br>> されたのはアラブの政策のお陰です。
難民を政治的に利用した部分は否定しません。そのおかげでまともな生活をしようと思うなら国外でとなり、多くのパレスチナ著名人がパレスチナ以外で市民権を得ています。しかしながら、そもそもユダヤ国家、国際都市エルサレム、戦争によって獲得した領土から、アラブ人が殆ど追放され残ったのが15万人だった事にも注目して下さい。
また難民問題については国連調停委員会が、帰還を望む者は可能な限り早く、望まぬ者には失った財産の補償するよう勧告したのに対し。アラブは同意したが、シオニストは難民はアラブでの再定住化を主眼とし10万にのみ受け入れる、補償問題には協力すると、得るものが多かった割に突っぱねます。
分割案に準じた独立宣言の精神は?、『流血のこの時でさえ、我々はこの国におけるパレスチナ・アラブ人との平和回復を求める。我々はアラブ市民に帰宅するよう求める。我々はこの国のすべての政府代表機関に基づき、彼らの完全なる市民権を保証する。我々は相互協力を始めるために、隣人であるアラブ国家に友情の手を差し出している。我々は、中東再興の一端を担う用意がある。』
でわ、本題。
》 1920年代から1930年代にかけてのユダヤ人社会の発展が引き起こしたパレスチナの変化を、米国の学者P・A・
》 スミスはその著『パレスチナとパレスチナ人 1876−1983』で詳しく述べている。
》 それによると、ユダヤ人社会は比較的豊富な資金力によって支えられていた。1920年から1935年までの間に、
》 パレスチナに流入したユダヤ資本の総額は約9000万ポンド。これは同じ時期の英委任統治政庁の支出総額の3倍に
》 あたる。(イスラエルとパレスチナ 立山 良司 著)
この資金はユダヤ共同体内で循環するのですが、土地の購入などによりアラブ人もその恩恵を受けたでしょう。当然、成金は金を使いまくりますから他のアラブ人も景気が良かったと思いますよ。その生活水準の向上による人口増加と、ある意味、都市化から阻害された農民を中心とする貧困化による人口増加が重なったのでしょう。
これは メッセージ 1321 (f3nasa さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834682/4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa_1/1350.html