生存権構想
投稿者: f3nasa 投稿日時: 2002/12/28 21:25 投稿番号: [1242 / 2453]
>せっかくソクラテスまで持ち出して法の重要性を説いてくれたのに。
『悪法も法』であると考えているのはあくまでも僕個人の意見であって、僕自身はイスラエルに対し何らの責を負うものでもないし、イスラエルの代弁者でもなんでもないですから。どうもこの辺りで取り違えている事が多いようですが、イスラエルの事はイスラエルに聞くのが筋ですヨ。
>これじゃあ、「ゲルマン民族の生存圏」みたいです。
安保理決議 242 号を拒否せざるを得なかった事情はイスラエル側とアラブ側では随分と違うようですが、西岸の一番出っ張ったところと地中海までの幅は 15km 程度しかないそうで、ハイファ、ネタニア、テルアビブといった重要都市が西岸から目と鼻の先で On the Edge の状態である事からもイスラエル側の事情は生存権構想なくして理解する事は難しいと言わざるをえません。
さらに言えば、これはナチス・ドイツがヨーロッパを席巻する際に思想的影響を受けた『ゲルマン民族の生存権』すなわち Karl Haushofer の統合地域論に基づく拡大主義とは明らかに事情が異なります。
>これは盾というより矛としいる感じですね。
アラブ諸国が対イスラエルの尖兵として PLO その他を支援してテロ活動を行ってきたという意味では『矛』という指摘は正解だと思われます。
>が、彼らの土地を没収したイスラエルが原因ですからね。
ヨルダン西岸とガザ回廊は第一次中東戦争後の 1949 年にヨルダンとエジプトが主権をそれぞれ主張し、占領した場所です。ならば(現在のようにパレスチナ人、エジプト人、ヨルダン人がそれぞれ別物であるとする感覚上では)土着の彼らから土地を奪ったのはヨルダンとエジプトに他なりません。
1956 年、イスラエルがガザ回廊とシナイ半島に侵攻したものの、結局合衆国と国連の意向を受けて撤退する事になるのは、周知の通りですが、その条件にイスラエルはエジプト軍のガザ回廊からの撤退を求め、エジプト政府はそれを受諾したにも関わらず、その 48 時間後に約束を反古にして、ガザ回廊に進駐した事をみてもエジプトのガザに対する主権の意志は明白で疑いようも無いでしょう。またヨルダンとしても 1988 年に西岸統治権を正式に放棄するまでは、自己の主権が及ぶ土地であったつもりの筈です
1967 年の第三次中東戦争で勝利した結果、イスラエルは『ヨルダンから西岸』を、『エジプトからはガザ回廊』を事実上取得したということになります。これは国家間紛争が齎した結果である以上、ここに民衆一人一人の意志が介在する余地は有りません。
>これを受けてパレスチナの民政機関が組織され、ユダヤ側はパレスチナ・シオニスト行政機関を設立、
>つまり白書の承認。
ユダヤ側で、22 年白書を承認したとの証明を示す資料はございますか?
マクドナルド白書が出される二年前、イギリスはパレスチナ問題の解決策として諮問委員会を発足し、そこでパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分ける提案が出されていますが、ユダヤ側はこの提案を受け入れたものの、アラブ側はこれを一蹴。反って不満感を煽らせて暴動を引き起こした事が記録に残っています。
1937 PEEL COMMISSION REPORT
http://www.shalomjerusalem.com/jerusalem/jerusalem73f.html
ところで未だイスラエル大使館からの返答は得られていないので、こっから先へは話が進みません。
それにしても良い資料を沢山お持ちのようで羨ましいです。が、僕の頭は『イスラエルの頭脳』じゃあないもんで、右から入ってきたものが直ぐに左へと通り抜けてしまうんですよね(笑
『悪法も法』であると考えているのはあくまでも僕個人の意見であって、僕自身はイスラエルに対し何らの責を負うものでもないし、イスラエルの代弁者でもなんでもないですから。どうもこの辺りで取り違えている事が多いようですが、イスラエルの事はイスラエルに聞くのが筋ですヨ。
>これじゃあ、「ゲルマン民族の生存圏」みたいです。
安保理決議 242 号を拒否せざるを得なかった事情はイスラエル側とアラブ側では随分と違うようですが、西岸の一番出っ張ったところと地中海までの幅は 15km 程度しかないそうで、ハイファ、ネタニア、テルアビブといった重要都市が西岸から目と鼻の先で On the Edge の状態である事からもイスラエル側の事情は生存権構想なくして理解する事は難しいと言わざるをえません。
さらに言えば、これはナチス・ドイツがヨーロッパを席巻する際に思想的影響を受けた『ゲルマン民族の生存権』すなわち Karl Haushofer の統合地域論に基づく拡大主義とは明らかに事情が異なります。
>これは盾というより矛としいる感じですね。
アラブ諸国が対イスラエルの尖兵として PLO その他を支援してテロ活動を行ってきたという意味では『矛』という指摘は正解だと思われます。
>が、彼らの土地を没収したイスラエルが原因ですからね。
ヨルダン西岸とガザ回廊は第一次中東戦争後の 1949 年にヨルダンとエジプトが主権をそれぞれ主張し、占領した場所です。ならば(現在のようにパレスチナ人、エジプト人、ヨルダン人がそれぞれ別物であるとする感覚上では)土着の彼らから土地を奪ったのはヨルダンとエジプトに他なりません。
1956 年、イスラエルがガザ回廊とシナイ半島に侵攻したものの、結局合衆国と国連の意向を受けて撤退する事になるのは、周知の通りですが、その条件にイスラエルはエジプト軍のガザ回廊からの撤退を求め、エジプト政府はそれを受諾したにも関わらず、その 48 時間後に約束を反古にして、ガザ回廊に進駐した事をみてもエジプトのガザに対する主権の意志は明白で疑いようも無いでしょう。またヨルダンとしても 1988 年に西岸統治権を正式に放棄するまでは、自己の主権が及ぶ土地であったつもりの筈です
1967 年の第三次中東戦争で勝利した結果、イスラエルは『ヨルダンから西岸』を、『エジプトからはガザ回廊』を事実上取得したということになります。これは国家間紛争が齎した結果である以上、ここに民衆一人一人の意志が介在する余地は有りません。
>これを受けてパレスチナの民政機関が組織され、ユダヤ側はパレスチナ・シオニスト行政機関を設立、
>つまり白書の承認。
ユダヤ側で、22 年白書を承認したとの証明を示す資料はございますか?
マクドナルド白書が出される二年前、イギリスはパレスチナ問題の解決策として諮問委員会を発足し、そこでパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分ける提案が出されていますが、ユダヤ側はこの提案を受け入れたものの、アラブ側はこれを一蹴。反って不満感を煽らせて暴動を引き起こした事が記録に残っています。
1937 PEEL COMMISSION REPORT
http://www.shalomjerusalem.com/jerusalem/jerusalem73f.html
ところで未だイスラエル大使館からの返答は得られていないので、こっから先へは話が進みません。
それにしても良い資料を沢山お持ちのようで羨ましいです。が、僕の頭は『イスラエルの頭脳』じゃあないもんで、右から入ってきたものが直ぐに左へと通り抜けてしまうんですよね(笑
これは メッセージ 1224 (marchingpeople さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834682/4hda5a4la5a4a59a5ia5a8a5ka1aa_1/1242.html