筑後川
投稿者: MUSHIMARU_9 投稿日時: 2001/12/25 17:35 投稿番号: [146 / 2229]
有明海の疲弊原因として、ノリ不作等第三者委員会は、筑後大堰についても調査する旨、提言しています。筑後大堰は、水道水源として、福岡地区水道企業団、福岡県南広域水道企業団、佐賀東部水道企業団へ水を供給、また、筑後川下流地域へ、灌漑用水を供給しています。その他、筑後川水系のダムや堰は、流域全体で1000以上はあるのではないかと云われています。
http://mytown.asahi.com/fukuoka/news02.asp?c=5&kiji=829
筑後大堰建設により、下流域の「アオ取水」という文化が絶えました。アオとは淡水のこと。有明海の逆潮を利用した先人達の知恵です。有明海は、日本で最も干満差の大きい海域で、潮が大きい時には6メートル以上にもなると云われています。従って、有明海に注ぐ河川は、他に類を見ない感潮域を持っています。潮は淡水より比重が思いので、河川の底を、河川水(淡水)を押し上げるように遡上します。その、押し上げられた淡水をうまく用水路に引き込む技術が「アオ取水」です。
筑後川の河川水は、有明海が干潮時は干潟いっぱいに広がり、干潟の浄化機能により浄化され、満潮時に潮に乗ってまた筑後川に戻ってきます。その浄化された綺麗な水(アオ)を、灌漑水として取水します。
また、戦前には、大寒の頃の大潮に乗ってくるアオは、非常用の飲料水としても利用されていたそうです。
クリークが網の目のように這う佐賀平野、このクリークにもアオが引かれていました。しかし、圃場整備が進むにつれて、パイプラインが埋設されると、クリークの役割は単なる生活排水を受け止めるだけのものになってしまいドブ化が進展しています。
筑後川は、日田や小国を中心とする上流域では、江戸時代後半からの植林による水源林に端を発し、中流域の筑後四堰および重連水車群の取水技術により広大な筑後の平野を潤し、そして水はまた本川に戻され、有明海に注ぎ海苔を育て、再びアオ取水により下流域を潤すという完結された川でした。
筑後川とは、それぞれの流域民や山と海とが一体となって、水と土を作り出してきた川だったのです。
http://mytown.asahi.com/fukuoka/news02.asp?c=5&kiji=829
筑後大堰建設により、下流域の「アオ取水」という文化が絶えました。アオとは淡水のこと。有明海の逆潮を利用した先人達の知恵です。有明海は、日本で最も干満差の大きい海域で、潮が大きい時には6メートル以上にもなると云われています。従って、有明海に注ぐ河川は、他に類を見ない感潮域を持っています。潮は淡水より比重が思いので、河川の底を、河川水(淡水)を押し上げるように遡上します。その、押し上げられた淡水をうまく用水路に引き込む技術が「アオ取水」です。
筑後川の河川水は、有明海が干潮時は干潟いっぱいに広がり、干潟の浄化機能により浄化され、満潮時に潮に乗ってまた筑後川に戻ってきます。その浄化された綺麗な水(アオ)を、灌漑水として取水します。
また、戦前には、大寒の頃の大潮に乗ってくるアオは、非常用の飲料水としても利用されていたそうです。
クリークが網の目のように這う佐賀平野、このクリークにもアオが引かれていました。しかし、圃場整備が進むにつれて、パイプラインが埋設されると、クリークの役割は単なる生活排水を受け止めるだけのものになってしまいドブ化が進展しています。
筑後川は、日田や小国を中心とする上流域では、江戸時代後半からの植林による水源林に端を発し、中流域の筑後四堰および重連水車群の取水技術により広大な筑後の平野を潤し、そして水はまた本川に戻され、有明海に注ぎ海苔を育て、再びアオ取水により下流域を潤すという完結された川でした。
筑後川とは、それぞれの流域民や山と海とが一体となって、水と土を作り出してきた川だったのです。
これは メッセージ 145 (umiwld さん)への返信です.
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