Re: ありがとうございます。
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2009/08/24 20:35 投稿番号: [1802 / 1931]
いいえ、こちらこそありがとう。
もし、攻撃、あるいは、その疑い、さらには、その意志を、、、感じたならば、教えあうことで、守りあえる。。。
確かに、実際に、攻撃が確認されているので、それを警告することは、義務と感じるので
お伝えしておきます。
その攻撃は、通信の領域だけですむものではないこともありえます。
確かに、正しく生きる限り、すべてオープンは強いですが、真実が見えなくされ、また、
正しく生きることそのものを妨害する内面操作や欲望操作や自作自演劇がある事実も確認しているので、
それは魂の最後の切り札だと思っています。
人間の置かれている現状は、相当ひどいです。
まるで、目隠しをされ、体の自由を奪われ、心や欲望の自由すら操作され、
見張りや監獄の番兵の中で生きざるを得ず、巧妙な攻撃や支配操作が、
ありとあらゆる方法で、なされています。
マスコミ、政治、お金、軍隊、警察、戦争、経済恐慌、、、、裏でほとんどすべてが、支配の道具や仕組みである、、、
というキーワードでつながります。
さらに、それに受動的な気分や感情や思考、注意力や生命エネルギーや記憶や欲望や眠りや夢なども
支配されているわけです。
ほとんどの人は、そのような方法で支配されていることにすら気がついていないものですが。。。
さらに、最近は、いや、昔からだったのかもしれませんが、気象や地殻変動など自然といわれる現象にすら、
支配者たちの意志が関与してきているようです。
確かに、自然の中で、幸せに生きれる世界であれば、自然の一部として生きるのも否定しないのですが、
昔から今まで、自然の災害によって、たくさんのものが苦しんできたのも事実です。
それでも、すべて悪いと判断したわけではない。
自然によって、苦しむものたちの多くは、自然の脅威に備えがない貧しいものたちでありました。
貴族や支配階級の多くは、贅沢をし、安全な家に住み、貧しいものたちにしんどいことは、すべてやらせて生きていました。
どうしたらいいのでしょう。
自然に対して謙虚に生きるという道すら、支配するものたちは、庶民から奪ってしまったんではなかったのか。
もはや、本当の自然、美しい野生の自然は、この惑星では、すでにほとんど消えうせています。
また、私たちは、そこで野生の自然で生きる方法を忘れ、また、そのような生活に耐えれなくなってきてもいると思います。
病や老いや怪我が、生存に直結するような野生の人生を、自然が今の人間に要求するとすれば、
それは、かなり酷であると思います。
それを望むものが、望む期間だけ、そうした野生を生きることもできる世界というならいいのですが、
それが有無を言わさず強制される世界は、私は望みません。
自然の妙は、不思議は、言われるように感じますが、しかし、不具合と思えるものもかなり目に付きます。
実際、自然というものを、私たちは、すべて理解していません。
多くの人は、肉体の欲求や社会の仕組みの中で目の前の仕事や欲求によって、また、個人的な願望や夢を求めて
生きています。
私もそうして生きてきました。
無知ゆえに、環境問題も生じてきた。
人間は、自然を理解し自然の一部とならなければならないのでしょうか?
自然の一部であるという生き方は、私は望まない。
私は、自然であれ、社会であれ、誰であれ、対等に友として生きたい。
自然を否定し、支配しようとは思わない。
社会や他の誰かを支配したいとも思わない。
ただ、友として、対等に存在したい。
だから、謙虚になる必要もないと感じる。
なぜ、対等な友に、謙虚さなど必要なのか?
よう!元気か?って言い合えばいいだけではないのか?
おめーも、俺も、まだまだ馬鹿だなーってね。
で、笑いあえるもんじゃないのか?
謙虚でなければ、へりくだらないなら、攻撃したり意地悪をしてきるような社会や自然ならば、
そもそも対等な友としての関係ではない。
なんで、そうなのか。問題は、支配風を吹かせたがるものたちにあると
私は、感じる。
そんな風、ふかすなよ。
そんな雰囲気が、満ちた世界になどすんな。。。
自然を理解し、できるだけ互いの願いを公平に尊重しあって、対等な関係性を持とうとすることで友になれないのであれば、
自然に文句を言うくらいで、いじめられるのであれば、
そんな自然支配者など、認めれない。
これは、自然だけでなく、社会や国家や地域や会社などでも同じことが言える。
もし、攻撃、あるいは、その疑い、さらには、その意志を、、、感じたならば、教えあうことで、守りあえる。。。
確かに、実際に、攻撃が確認されているので、それを警告することは、義務と感じるので
お伝えしておきます。
その攻撃は、通信の領域だけですむものではないこともありえます。
確かに、正しく生きる限り、すべてオープンは強いですが、真実が見えなくされ、また、
正しく生きることそのものを妨害する内面操作や欲望操作や自作自演劇がある事実も確認しているので、
それは魂の最後の切り札だと思っています。
人間の置かれている現状は、相当ひどいです。
まるで、目隠しをされ、体の自由を奪われ、心や欲望の自由すら操作され、
見張りや監獄の番兵の中で生きざるを得ず、巧妙な攻撃や支配操作が、
ありとあらゆる方法で、なされています。
マスコミ、政治、お金、軍隊、警察、戦争、経済恐慌、、、、裏でほとんどすべてが、支配の道具や仕組みである、、、
というキーワードでつながります。
さらに、それに受動的な気分や感情や思考、注意力や生命エネルギーや記憶や欲望や眠りや夢なども
支配されているわけです。
ほとんどの人は、そのような方法で支配されていることにすら気がついていないものですが。。。
さらに、最近は、いや、昔からだったのかもしれませんが、気象や地殻変動など自然といわれる現象にすら、
支配者たちの意志が関与してきているようです。
確かに、自然の中で、幸せに生きれる世界であれば、自然の一部として生きるのも否定しないのですが、
昔から今まで、自然の災害によって、たくさんのものが苦しんできたのも事実です。
それでも、すべて悪いと判断したわけではない。
自然によって、苦しむものたちの多くは、自然の脅威に備えがない貧しいものたちでありました。
貴族や支配階級の多くは、贅沢をし、安全な家に住み、貧しいものたちにしんどいことは、すべてやらせて生きていました。
どうしたらいいのでしょう。
自然に対して謙虚に生きるという道すら、支配するものたちは、庶民から奪ってしまったんではなかったのか。
もはや、本当の自然、美しい野生の自然は、この惑星では、すでにほとんど消えうせています。
また、私たちは、そこで野生の自然で生きる方法を忘れ、また、そのような生活に耐えれなくなってきてもいると思います。
病や老いや怪我が、生存に直結するような野生の人生を、自然が今の人間に要求するとすれば、
それは、かなり酷であると思います。
それを望むものが、望む期間だけ、そうした野生を生きることもできる世界というならいいのですが、
それが有無を言わさず強制される世界は、私は望みません。
自然の妙は、不思議は、言われるように感じますが、しかし、不具合と思えるものもかなり目に付きます。
実際、自然というものを、私たちは、すべて理解していません。
多くの人は、肉体の欲求や社会の仕組みの中で目の前の仕事や欲求によって、また、個人的な願望や夢を求めて
生きています。
私もそうして生きてきました。
無知ゆえに、環境問題も生じてきた。
人間は、自然を理解し自然の一部とならなければならないのでしょうか?
自然の一部であるという生き方は、私は望まない。
私は、自然であれ、社会であれ、誰であれ、対等に友として生きたい。
自然を否定し、支配しようとは思わない。
社会や他の誰かを支配したいとも思わない。
ただ、友として、対等に存在したい。
だから、謙虚になる必要もないと感じる。
なぜ、対等な友に、謙虚さなど必要なのか?
よう!元気か?って言い合えばいいだけではないのか?
おめーも、俺も、まだまだ馬鹿だなーってね。
で、笑いあえるもんじゃないのか?
謙虚でなければ、へりくだらないなら、攻撃したり意地悪をしてきるような社会や自然ならば、
そもそも対等な友としての関係ではない。
なんで、そうなのか。問題は、支配風を吹かせたがるものたちにあると
私は、感じる。
そんな風、ふかすなよ。
そんな雰囲気が、満ちた世界になどすんな。。。
自然を理解し、できるだけ互いの願いを公平に尊重しあって、対等な関係性を持とうとすることで友になれないのであれば、
自然に文句を言うくらいで、いじめられるのであれば、
そんな自然支配者など、認めれない。
これは、自然だけでなく、社会や国家や地域や会社などでも同じことが言える。
これは メッセージ 1801 (digital_comic_12 さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834578/bddb4d7bf40a4bcab5kbcabbada4nbcb8bd_1/1802.html