平和的自給自治から生まれる世界(続き)
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2006/06/08 15:25 投稿番号: [1149 / 1931]
自給できない専門職といっても、自給しながら、やれないのは、社会構造の問題もあるのではないでしょうか?
確かに専門的な仕事を学ぶには、時間がかかります。
また、それを支えるものがいて、はじめてそれば成り立ちます。
しかし、その信頼関係が不確かであれば、専門だけしかできなくなっているものが、いきなり、もういらないよといわれたら、大変になります。
そして、結構そういうことが、この世界にはあるのではないでしょうか?
例えば、このような問題があります。
例えば、医者が、たくさんいても、患者が少ししかいないならば、医者の仕事だけでは成り立ちません。
患者は、いないほうがいいのです。
医者の生活のために患者を作り出すようなことは、してはならないのですが、
専門しかできないと患者をついつい求めたりしてしまいかねません。
これは、困った問題になります。
競争資本主義のもとでの産業界では、こういうことは日常茶飯事のできごとではないでしょうか?本当の必要とその業界の必要と摩り替わってしまうことがあります。
本当の必要を満たしあうように、なる必要がありますが、この世界が、競争や食い合いの原理で動いていれば、それはとても難しいことです。
ここが、産業のための行政と命や暮らしのための行政と違いとして問題化してきています。
産業は、みなに必要なものを提供できれば、その目的を果たし、それを必要以上に維持するべきものでもありません。
しかし、多くの産業では、そこに特許や利権をつけて、わざと人々を依存させています。
これは、知識や産業や力を独占し、それで支配しようという心が、原因です。
なぜ、そういう心になるかというと、一部のものが、それを意志し、そのような設定にしてしまっているからです。
しかし、これ以外の選択肢もあるのです。
それが平和的自給自治などの選択肢であり、みんな幸せを共通目標にするビジョンですが、支配のための支配を意志がその前に立ちふさがるかぎり、この世界は、みんな幸せになることはないでしょう。
少なくとも、私は、そのような世界には、うんざりしています。
「統制」というキーワードではなく、自分の必要性から自分で創造するという
方向へ向けて進みたいのです。
しかし、今の支配型世界や多数決世界や競争資本主義世界では、この権利が、実質的に奪われている状態です。
共通目標を「みんな幸せ」におき、個々人の避難場所としての平和的な自給自治の権利を確保し、そのためのよりよき方法や道具を皆で考え開発し、世界中にそれが保証されるようにする。
そのうえで、そこから、自由な魂同士としてのさらなる「みんな幸せ」プラスアルファを生み出して遊ぶ。
このあたりを意識して進めれば、結局は、同じにならないと思います。
しかし、みんなとは、人間だけではなく、すべての体験する意識としておきます。
確かに難しいですが、皆が心を合わせてその気になれば、決して不可能ではないと思っています。
確かに専門的な仕事を学ぶには、時間がかかります。
また、それを支えるものがいて、はじめてそれば成り立ちます。
しかし、その信頼関係が不確かであれば、専門だけしかできなくなっているものが、いきなり、もういらないよといわれたら、大変になります。
そして、結構そういうことが、この世界にはあるのではないでしょうか?
例えば、このような問題があります。
例えば、医者が、たくさんいても、患者が少ししかいないならば、医者の仕事だけでは成り立ちません。
患者は、いないほうがいいのです。
医者の生活のために患者を作り出すようなことは、してはならないのですが、
専門しかできないと患者をついつい求めたりしてしまいかねません。
これは、困った問題になります。
競争資本主義のもとでの産業界では、こういうことは日常茶飯事のできごとではないでしょうか?本当の必要とその業界の必要と摩り替わってしまうことがあります。
本当の必要を満たしあうように、なる必要がありますが、この世界が、競争や食い合いの原理で動いていれば、それはとても難しいことです。
ここが、産業のための行政と命や暮らしのための行政と違いとして問題化してきています。
産業は、みなに必要なものを提供できれば、その目的を果たし、それを必要以上に維持するべきものでもありません。
しかし、多くの産業では、そこに特許や利権をつけて、わざと人々を依存させています。
これは、知識や産業や力を独占し、それで支配しようという心が、原因です。
なぜ、そういう心になるかというと、一部のものが、それを意志し、そのような設定にしてしまっているからです。
しかし、これ以外の選択肢もあるのです。
それが平和的自給自治などの選択肢であり、みんな幸せを共通目標にするビジョンですが、支配のための支配を意志がその前に立ちふさがるかぎり、この世界は、みんな幸せになることはないでしょう。
少なくとも、私は、そのような世界には、うんざりしています。
「統制」というキーワードではなく、自分の必要性から自分で創造するという
方向へ向けて進みたいのです。
しかし、今の支配型世界や多数決世界や競争資本主義世界では、この権利が、実質的に奪われている状態です。
共通目標を「みんな幸せ」におき、個々人の避難場所としての平和的な自給自治の権利を確保し、そのためのよりよき方法や道具を皆で考え開発し、世界中にそれが保証されるようにする。
そのうえで、そこから、自由な魂同士としてのさらなる「みんな幸せ」プラスアルファを生み出して遊ぶ。
このあたりを意識して進めれば、結局は、同じにならないと思います。
しかし、みんなとは、人間だけではなく、すべての体験する意識としておきます。
確かに難しいですが、皆が心を合わせてその気になれば、決して不可能ではないと思っています。
これは メッセージ 1148 (yuyu10nen さん)への返信です.
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