平和的自給自治から生まれる世界
投稿者: yuyu10nen 投稿日時: 2006/06/08 15:11 投稿番号: [1148 / 1931]
bari bariさん、こんにちは。
なるほど、おっしゃるところは、よくわかります。
地域差、個人差、ありますからね。
それぞれの場所や能力に応じて、できる範囲でよりよくしたらよいと思います。
実は、ここで目標にしている完全循環型自給自足という目標は、
さらに、その上位目標の「みんなの幸せ」の実現というものに付随して
生まれてきたものです。
ですから、究極は、みんながそれでよいと満足できていれば、それでいいといえます。
みんな幸せであれば、自給も必要でないともなりえます。
しかし、今の世界に平和的に自給自足できる権利やその環境が保障されていれば、
もっとよりよい世界になっていると私には思われます。
もちろん、流通や交換を否定しているわけではありません。
しかし、いつでも自給できるスタンス、あるいは、それに準じる備蓄や準備が
あれば、本当に安心して暮らせるのではないでしょうか?
もちろん、自給自足で手一杯になっては、ゆとりも何もありませんが、
それが、ゆとりある自給ならば、両立ができ、さらにいつでも自給という
スタンスに戻ってこれます。
これは、安心と自由(その仕事をいつでも離れることができる自由など)を
もたらすでしょう。
そのために、そのゆとりある個人型の自給を私は、特化して研究しているわけです。
そして、それは、その自給スタイルに応じて、難易度が変化することに気がついています。
これは、実は、とても重要なことです。
生活レベルを10分の一にして、それで満足できる自分を創ります。
そして、生産性を10倍にすれば、とりあえずそれでなんと100倍自由度、、、が
あがるのです。
そうなれば、海のものが口笛を吹きながら、自転車で山に遊びにいって、
その作業を楽しみながら手伝って山のものを頂くということも不可能ではなくなってきます。
また、逆もOKになるでしょう。
ちなみに、昔は、地域の交流は、今ほどなくて、、、というか、ほとんどなかったりしたこともあったし、地域や村単位で自給的に暮らしていた歴史や文化は、まだ、完全には、忘れられないで存在しています。
それが、不幸な生活であったか?といえば、そういう面もあるが、そうともいいきれない部分も結構あると思われます。
であれば、その文化や生活も、選択肢として消してはならないはずでしょう。
しかし、土地の値段があがったり、開発で立ち退かされたり、税金や年金や保険を強制されたりしつつ、、、そのような選択肢は、衰退させられた歴史があります。
もし、歴史を振り返って、課税もなく、固定資産税などもなく、強制される年金もなく、保険もなく、平和的に自給自治できる権利が保障されていれば、今の世界は、まったく違ったものになっていたはずです。
それをいやがらせや圧力や政治や法律や戦争で、つぶされてきた過去があります。
私は、そのようなことを認めないものです。
まずは、昔の平和的自給文化の暮らしは、可能であることがはっきりしています。
そして、それに今の文明のいいところをアレンジすれば、さらにゆとりのある自給が可能です。
続く
なるほど、おっしゃるところは、よくわかります。
地域差、個人差、ありますからね。
それぞれの場所や能力に応じて、できる範囲でよりよくしたらよいと思います。
実は、ここで目標にしている完全循環型自給自足という目標は、
さらに、その上位目標の「みんなの幸せ」の実現というものに付随して
生まれてきたものです。
ですから、究極は、みんながそれでよいと満足できていれば、それでいいといえます。
みんな幸せであれば、自給も必要でないともなりえます。
しかし、今の世界に平和的に自給自足できる権利やその環境が保障されていれば、
もっとよりよい世界になっていると私には思われます。
もちろん、流通や交換を否定しているわけではありません。
しかし、いつでも自給できるスタンス、あるいは、それに準じる備蓄や準備が
あれば、本当に安心して暮らせるのではないでしょうか?
もちろん、自給自足で手一杯になっては、ゆとりも何もありませんが、
それが、ゆとりある自給ならば、両立ができ、さらにいつでも自給という
スタンスに戻ってこれます。
これは、安心と自由(その仕事をいつでも離れることができる自由など)を
もたらすでしょう。
そのために、そのゆとりある個人型の自給を私は、特化して研究しているわけです。
そして、それは、その自給スタイルに応じて、難易度が変化することに気がついています。
これは、実は、とても重要なことです。
生活レベルを10分の一にして、それで満足できる自分を創ります。
そして、生産性を10倍にすれば、とりあえずそれでなんと100倍自由度、、、が
あがるのです。
そうなれば、海のものが口笛を吹きながら、自転車で山に遊びにいって、
その作業を楽しみながら手伝って山のものを頂くということも不可能ではなくなってきます。
また、逆もOKになるでしょう。
ちなみに、昔は、地域の交流は、今ほどなくて、、、というか、ほとんどなかったりしたこともあったし、地域や村単位で自給的に暮らしていた歴史や文化は、まだ、完全には、忘れられないで存在しています。
それが、不幸な生活であったか?といえば、そういう面もあるが、そうともいいきれない部分も結構あると思われます。
であれば、その文化や生活も、選択肢として消してはならないはずでしょう。
しかし、土地の値段があがったり、開発で立ち退かされたり、税金や年金や保険を強制されたりしつつ、、、そのような選択肢は、衰退させられた歴史があります。
もし、歴史を振り返って、課税もなく、固定資産税などもなく、強制される年金もなく、保険もなく、平和的に自給自治できる権利が保障されていれば、今の世界は、まったく違ったものになっていたはずです。
それをいやがらせや圧力や政治や法律や戦争で、つぶされてきた過去があります。
私は、そのようなことを認めないものです。
まずは、昔の平和的自給文化の暮らしは、可能であることがはっきりしています。
そして、それに今の文明のいいところをアレンジすれば、さらにゆとりのある自給が可能です。
続く
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