地球全体環境の観点が必要と思う
投稿者: oomoriyan66 投稿日時: 2010/03/01 12:52 投稿番号: [19 / 67]
ooppuuttさん、kirakira_kirakira_star_starさん
ご意見ありがとうございます。
私は、次の通り考えます。
製造・販売社は、自社での売り上げが多いほど、良い。Userも、今使ってる物より、新製品を欲しがる。
しかし、私は、地球の自然環境から見ると、以下の理由から良くない、と考えます。
1.上記について私は、本『環境にやさしい生活をするために「リサイクルしてはいけない」武田邦彦著』を読んで感じたことは、次の2つ。
①全体の観点で判断:
環境にやさしい生活は、自分が良ければいい、ではいけない。地球全体からの観点で判断が求められる。
②自制が必要:
自分に都合良いが、大勢の他人が困るような環境になる場合は、自分自身の自制が必要だ。
■ここから、「リサイクルしてはいけない」武田邦彦著の引用です。
p182 『西洋の論理というのは局部的な正義や論理を押し立てる方式だからです。この方式は戦争など力ずくの場合は役立ちますので、欧米が世界を支配しているのです。』
『東洋には昔から西洋思想を越えることのできる論理があります。それは、部分的には論理性に欠けるけれども、全体としてみれば論理が通っている」というものです。西洋の論理学では「AはAである。非AはAではない」・・・ しかし、東洋の論理では「非AはAである」ということも許します。つまり個別の論理性と全体の論理性はまったく逆になることがあり、個別の論理性を追求していては全体の論理性が破綻するときには、全体の論理性に従うのが東洋流です。』
『21世紀は、「全体を考える世紀」になるでしょう。その時には日本人は自らの考えをもって環境問題に対決することができる数少ない民族であると考えられます。』
■ここまで引用です。
2.では、自動車や家電製品、パソコン、大きくは住居などについて、どうすれば地球の自然環境からみても、製造・販売社からみても、良い提案があるのか?
地球全体環境からの観点が必要。この場合は、Userが壊れた製品を使い捨ててリサイクルする場合と、壊れた部分を修理して使い続ける場合を比較したら、修理しながら使い続ける方がBetterと思う。Userが、新しいものを求め続けるだけではいけない。また製造・販売社も販売した自社製品の故障を修理体制を構築する。具体的にメーカは、設計段階から、壊れた部分を交換し易い構造とする。販社および修理業者は、Userの求めに応じて修理体制を備える。Userが、購入した製品を経済的に使い続ける要求を支援する体制が、求められる。
私は、製造・販売社と、Userが互いに自制して、協調することが、地球の自然環境維持に貢献できると思う。
最初に述べたように、製造・販売社は、自社での売り上げが多いほど良いが、環境維持に良くないことを自制するべき。また、Userも、今使ってる物より新製品を欲しがることが、環境維持に良くないことを自制するべき。
この論理を拡大していくと、自分の地域が良くても、他の地域で良くないことは、自地域で自制が必要。自国にとって良いことでも、他国が良くなければ、自国で自制が必要、となる。こうすることによって、地球全体からみて、環境にやさしい生活ができる。
この論理は、日本だけでなく、東洋の各国や、更に発展して世界各国で実施するべきと思う。
私は、上記東洋の論理が、即ち武田邦彦さん記述の『個別の論理性を追求していては全体の論理性が破綻するときには、全体の論理性に従うのが東洋流です。』が、使い捨て文化本家の米国を含む世界各国に対して、自制や協調へと導けるのではないかと考えます。
皆さんは、どのようにお考えでしょうか?
ご意見を、お待ちしています。
私は、次の通り考えます。
製造・販売社は、自社での売り上げが多いほど、良い。Userも、今使ってる物より、新製品を欲しがる。
しかし、私は、地球の自然環境から見ると、以下の理由から良くない、と考えます。
1.上記について私は、本『環境にやさしい生活をするために「リサイクルしてはいけない」武田邦彦著』を読んで感じたことは、次の2つ。
①全体の観点で判断:
環境にやさしい生活は、自分が良ければいい、ではいけない。地球全体からの観点で判断が求められる。
②自制が必要:
自分に都合良いが、大勢の他人が困るような環境になる場合は、自分自身の自制が必要だ。
■ここから、「リサイクルしてはいけない」武田邦彦著の引用です。
p182 『西洋の論理というのは局部的な正義や論理を押し立てる方式だからです。この方式は戦争など力ずくの場合は役立ちますので、欧米が世界を支配しているのです。』
『東洋には昔から西洋思想を越えることのできる論理があります。それは、部分的には論理性に欠けるけれども、全体としてみれば論理が通っている」というものです。西洋の論理学では「AはAである。非AはAではない」・・・ しかし、東洋の論理では「非AはAである」ということも許します。つまり個別の論理性と全体の論理性はまったく逆になることがあり、個別の論理性を追求していては全体の論理性が破綻するときには、全体の論理性に従うのが東洋流です。』
『21世紀は、「全体を考える世紀」になるでしょう。その時には日本人は自らの考えをもって環境問題に対決することができる数少ない民族であると考えられます。』
■ここまで引用です。
2.では、自動車や家電製品、パソコン、大きくは住居などについて、どうすれば地球の自然環境からみても、製造・販売社からみても、良い提案があるのか?
地球全体環境からの観点が必要。この場合は、Userが壊れた製品を使い捨ててリサイクルする場合と、壊れた部分を修理して使い続ける場合を比較したら、修理しながら使い続ける方がBetterと思う。Userが、新しいものを求め続けるだけではいけない。また製造・販売社も販売した自社製品の故障を修理体制を構築する。具体的にメーカは、設計段階から、壊れた部分を交換し易い構造とする。販社および修理業者は、Userの求めに応じて修理体制を備える。Userが、購入した製品を経済的に使い続ける要求を支援する体制が、求められる。
私は、製造・販売社と、Userが互いに自制して、協調することが、地球の自然環境維持に貢献できると思う。
最初に述べたように、製造・販売社は、自社での売り上げが多いほど良いが、環境維持に良くないことを自制するべき。また、Userも、今使ってる物より新製品を欲しがることが、環境維持に良くないことを自制するべき。
この論理を拡大していくと、自分の地域が良くても、他の地域で良くないことは、自地域で自制が必要。自国にとって良いことでも、他国が良くなければ、自国で自制が必要、となる。こうすることによって、地球全体からみて、環境にやさしい生活ができる。
この論理は、日本だけでなく、東洋の各国や、更に発展して世界各国で実施するべきと思う。
私は、上記東洋の論理が、即ち武田邦彦さん記述の『個別の論理性を追求していては全体の論理性が破綻するときには、全体の論理性に従うのが東洋流です。』が、使い捨て文化本家の米国を含む世界各国に対して、自制や協調へと導けるのではないかと考えます。
皆さんは、どのようにお考えでしょうか?
ご意見を、お待ちしています。
これは メッセージ 18 (kirakira_kirakira_star_star さん)への返信です.