Re: 睡眠の研究w
投稿者: skyrinnka 投稿日時: 2007/07/08 19:55 投稿番号: [893 / 973]
水さんの書き込みは
私にとっての課題にはいつもタイムリーなヒントいただいています
感謝!!
>怒りの中にいる時、相手に依存的な自分には気付かない
人を助けたいと激しい感情を抱く時、本当は助けられたい(かまってほしい)自分には気付かない
そこをぬけだす時
自我に向き合いましたよ
本当は自分は何なの??
みたいな
自分のエゴに向き合うのは
結構きついものがありまして
そこから目をそらさないでいましたら
とうとう胃のあたりがおかしくなりました
>最近ふと気付いたんですが、真の慈悲とは
相手の視点でものが見えているかどうかということから始まるのではと思いました。
相手の視点に意識を移す時、同情は消える。かわいそうは消える。その代わりにその人が今そうある理由が瞬時に理解できる。
相手の視点に意識で世界を見る時、今までの自我が世界そのものであったということに気付き、自分の枠組みが見えるということ。新しい、まったく新しい世界を新たに体験できるわけですね。
相手の視点に立った時
自分との関係性がとても明確に見えますね
他者との関わりというのは
かかわりながらきちんと自分と相手の違いを認識することから
成立するような気がします
>こうしたこともきっとSELFとの対話によって進めることが出来るのでしょうね。
SELFには、本当は慈悲って言葉すらないのかもですね。霊性という言葉も無いかも。
全的存在を肯定した瞬間、上も下も困るも楽しいも、雲のように自然にただそこに!って感じなのでしょうか。ただ千の風のように。
そうだと思います
being=居る(在るという存在)だけで凄いことなんですよね
考えてはいけないのだと思いながら
これがとてもすべての人が生きている中で一番重要なことだと
最近思っています
小学校の親さんとの相談の話の中で
毎回毎回これを繰り返しています
どうにかしようではなくて
今あるがままでいいんだよ
そこから何かを始めるのは
誰でもなくて
その人自身ということなんですね
慈悲というのは
そういう状態を
ただ見守ってそばにいるという状態をあらわす言葉かもしれないと
最近思うようになりました
これは メッセージ 892 (mizno_kirara さん)への返信です.
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