食糧自給と華美な生活
投稿者: nobu_ichi95 投稿日時: 2005/03/08 11:56 投稿番号: [5975 / 62227]
倫理的に糾弾される事は仕方がないとしても、本来、食糧自給と現在の華美な生活は関係が無いと考えている。
今の日本人は、例えて言うならば、自宅の庭に畑は殆ど無いが、高給取りのお陰で大型冷蔵庫は常に輸入宅配食糧で満たされている様なものだ。
高給と輸入宅配のどちらが崩壊しても、「華美」な生活はそこで終りを迎えるが、畑が無ければ、じきに飢え死にしてしまうだろう。
そこで、庭の芝生を剥がして畑を増やそうという考えは、いわば「保険」であって、矛盾するようにも見えるが、本来は華美な生活スタイル自体と直接的にはリンクしないのだ。
更にいずれは、輸入宅配食糧の途絶で「華美な生活」が送れなくなり、深刻な飢えの恐怖に直面する可能性が高いのだから、この保険の意味は極めて重要だ。
さて、「一億総貧乏化計画」・・・食糧危機を迎えるにあたり、その傾向はやむを得ないだろう。ただ、どこまで生活水準の時計の針を戻すのかが問題なのだが。
私は、肉食・魚食がすでに日本人の生活文化として定着している以上、例えば、菜食に近い明治の頃まで針を戻す事には賛成できない。
また、食糧や貿易への厳しい国家統制はアングラ経済を助長し国の二重経済構造を固定化するだけであり、人間の「欲望」を無視した、マルクス主義的な失敗策であると思う。
前例を見る限り、非常に劣悪な貧困状態にまで陥ることが懸念されてしまう。
理想としては、鯨肉と魚食がなお重要であった昭和の30年代頃の食習慣への回帰を想定している。これは贅沢品は少ないが、そこそこ文化的な最低限度の生活は保障できるラインだからだ。
大豆の利用・・・日本食文化に根ざしており、高い可能性を秘めている事には同意できるが、まさか「一億総大豆生産」ともいかないだろう。
今の北朝鮮の様に、工場ラインの従業員が就業時間に野菜畑にいる様では、貧乏スパイラルが加速するだけだからだ。
重要な補填タンパク源にはなりうるだろうが、それにのみ依存する事は、ジャガイモに特化しすぎて飢餓を引き起こしたアイルランドや、トウモロコシ偏重で農業崩壊した北朝鮮の例もあり、あまり賛成できない。一歩間違えれば、即飢餓だからだ。
国家の安全保障上、タンパク源の供給先は食肉・魚類・鯨肉・大豆・・・複数であるべきで、相互に気候や災害による変動幅を補える方法を模索すべきだろう。
これは メッセージ 1 (whale_ac さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834578/a45a4a2a1aabdt7afa1aaja7dfldbja4c0a1aa_1/5975.html