Re: 八戸名物のくじら汁
投稿者: toripan1111 投稿日時: 2012/03/02 10:35 投稿番号: [57396 / 62227]
>郷土料理としての「くじら汁」なるものはあくまでも寄り鯨を利用してのものだった、決して
>捕鯨から得られた個体を利用してのものじゃなかったってこと、このへんは押さえておくべき。
真
っ
赤
な
大
嘘
を書かないでね?
「クジラの為だけに生きてる」rクン♪
鯨肉wiki(URL略)
〜行事などと結びついた料理も生まれた。江戸を含め日本各地で12月13日の煤払い(すすはらい)の後は「鯨汁」を食べる習慣が広まり、その様子は沢山の川柳の記述や物売りが鯨肉を扱っていた記録が残されている。秋田でも鍋物としては珍しく夏の暑気払いとして「鯨貝焼(くじらかやき)」という鯨のしょっつる鍋が江戸時代から食されており、夏場になると五艘程度の小舟の船団で鯨漁に出ていた記録が残されている。そして明治開拓以降の北海道の日本海側各地で正月料理として鯨汁が食されるのは、秋田藩を中心とした東北の人々が移り住んだ名残といわれている。
外食産業
東京都内の江戸時代から続くドジョウ鍋料理店では、160年間以上にわたり「鯨汁」を提供し続けている店もある。江戸時代の江戸城下では、どじょう鍋屋(柳川鍋ともいう)で鯨汁が出されるのが一般的で、一説では一番小さな魚料理のどじょう鍋に対しての洒落から一番大きな魚の鯨汁を提供したといわれ、だいたいどの店でもどじょう汁と鯨汁は同じ値段で十六文で売られていた。明治末期にはどじょう汁が一銭五厘、鯨汁は二銭五厘であった。
積極捕鯨を行わない「受動捕鯨(寄りクジラ)」のみで、一体どうやって↑の広域に亘る食文化や料理店定番メニューの商材を確保したのか?を説明してごらんよぅ?w
江戸を含め
日
本
各
地
で12月13日の煤払い(すすはらい)の後は
「
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汁
」
を
食
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習
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が
広
ま
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その様子は沢山の川柳の記述や物売りが鯨肉を扱っていた記録が残されている。
『
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本
各
地
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習
慣
』
を、いつ手に入るか判らない「寄りクジラ」のお肉という食材で支えてたのぅ?
クジラさん守る為なら客観的事実も捩じ曲げる、というキミ等愛護反捕鯨ちゃん達の季節を問わない日常習慣は何によって支えられてるのでしょうか・・・w
これは メッセージ 57395 (r13*12 さん)への返信です.
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