Re: 1937年捕鯨協定
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2010/08/17 12:56 投稿番号: [46906 / 62227]
>中学生あたりが勘違いしそうなことだけど、言語は記号じゃないんだよ。
普通の言語学/記号論の教科書だと、言語は記号の一形態、部分集合ですね。
人を馬鹿にしながら、みのもんたレベルの出鱈目言ってはいけません。
「記号論は、記号として捉えられうるすべてのものを対象とする。
すべて他の何かに対して有意義な形で代用をつとめていると解しうるものは、
記号である。ここで言う他の何かは別に存在している必要もないし、
記号がそれの代用をつとめる時点において、現にどこかに存在していなければ
ならないということもない。したがって記号論とは原則的に言えば、
嘘を言うために利用しうるあらゆるものを研究する学問である。
嘘を言うのに使えないようなものがあれば、それは逆に真理を伝えるために
用いることもできないわけである。」(ウンベルト・エーコ、記号論I、
池上嘉彦訳、岩波書店8頁)
抽象的な英文解釈や言語論/記号論やってても意味無いですから、
具体的に1930年代の捕鯨取締条約、捕鯨協定の話をしましょう。
ある時代に与えられた条件下で可能な「完全利用」を条約、協定は
具体的に定義してますね。
操業形態や利用目的、さらに圧力ボイラーや冷蔵技術のその時代の水準に
よって可能な「完全利用」の形が違ってきますが、それに応じて何らかの
明確な国際基準をつくろうというのが協定、条約の趣旨です。
「完全といったって、そんなのは無理なんだから、まあ完全を目指す
てことでいいんじゃないか」というのはまったく筋が違います。
現在だと、違反行為があった場合IWCの違反委員会に報告することに
なってますが、報告義務がある以上、明確な白黒が世界共通で決まってる
わけですね。
「可能な限りでの<完全利用(ユティリゼ・コンプレトモン)>」に
わずか3%足りないだけだから、報告しなくてもいいだろう、は駄目なのです。
それを許容すると、3%が5%になり、15%、30%といくらでも主観的
拡張が可能になるからですね。
何がいちばんの問題かと言うと、当時の国際連盟はすでに大型鯨類を
国際共有資産と考えていて、もはや19世紀的な無主物ではないとした
ことです。
大村秀雄さんはもうそういうことの意味をきちんと理解していたのだけれど、
おそらく日本政府の上層部は坂本龍馬以来の古い国際法理解をしていた
のでしょうね。
曰く「公海の自由は万民に開かれている」、「公海に属するものは
すべて無主物である」、「無主物はそれを取得した者が自由に処分しうる」
という思考の筋道だな。
現在でも、日本人は鯨を余すこと無く利用している、と言いながら、
コンセプトとしては国際連盟成立以前の古い法解釈、「公海の自由」
原理主義になってしまっている人が多いようですね。
このコンセプトの弱さに薄々気付いているからこそ、「日本人は余すこと
無く利用」を過剰に強調し、1930年代欧米人のマーガリン用食用油脂
としてのヒゲクジラ鯨油利用を、19世紀のマッコウ油街灯燃料と一緒くた
にして、必要以上におよしめようとするのだな。
近代捕鯨史をちょっとでも知ってる人が見ると、こういう日本製手前味噌
はみっともないです。
普通の言語学/記号論の教科書だと、言語は記号の一形態、部分集合ですね。
人を馬鹿にしながら、みのもんたレベルの出鱈目言ってはいけません。
「記号論は、記号として捉えられうるすべてのものを対象とする。
すべて他の何かに対して有意義な形で代用をつとめていると解しうるものは、
記号である。ここで言う他の何かは別に存在している必要もないし、
記号がそれの代用をつとめる時点において、現にどこかに存在していなければ
ならないということもない。したがって記号論とは原則的に言えば、
嘘を言うために利用しうるあらゆるものを研究する学問である。
嘘を言うのに使えないようなものがあれば、それは逆に真理を伝えるために
用いることもできないわけである。」(ウンベルト・エーコ、記号論I、
池上嘉彦訳、岩波書店8頁)
抽象的な英文解釈や言語論/記号論やってても意味無いですから、
具体的に1930年代の捕鯨取締条約、捕鯨協定の話をしましょう。
ある時代に与えられた条件下で可能な「完全利用」を条約、協定は
具体的に定義してますね。
操業形態や利用目的、さらに圧力ボイラーや冷蔵技術のその時代の水準に
よって可能な「完全利用」の形が違ってきますが、それに応じて何らかの
明確な国際基準をつくろうというのが協定、条約の趣旨です。
「完全といったって、そんなのは無理なんだから、まあ完全を目指す
てことでいいんじゃないか」というのはまったく筋が違います。
現在だと、違反行為があった場合IWCの違反委員会に報告することに
なってますが、報告義務がある以上、明確な白黒が世界共通で決まってる
わけですね。
「可能な限りでの<完全利用(ユティリゼ・コンプレトモン)>」に
わずか3%足りないだけだから、報告しなくてもいいだろう、は駄目なのです。
それを許容すると、3%が5%になり、15%、30%といくらでも主観的
拡張が可能になるからですね。
何がいちばんの問題かと言うと、当時の国際連盟はすでに大型鯨類を
国際共有資産と考えていて、もはや19世紀的な無主物ではないとした
ことです。
大村秀雄さんはもうそういうことの意味をきちんと理解していたのだけれど、
おそらく日本政府の上層部は坂本龍馬以来の古い国際法理解をしていた
のでしょうね。
曰く「公海の自由は万民に開かれている」、「公海に属するものは
すべて無主物である」、「無主物はそれを取得した者が自由に処分しうる」
という思考の筋道だな。
現在でも、日本人は鯨を余すこと無く利用している、と言いながら、
コンセプトとしては国際連盟成立以前の古い法解釈、「公海の自由」
原理主義になってしまっている人が多いようですね。
このコンセプトの弱さに薄々気付いているからこそ、「日本人は余すこと
無く利用」を過剰に強調し、1930年代欧米人のマーガリン用食用油脂
としてのヒゲクジラ鯨油利用を、19世紀のマッコウ油街灯燃料と一緒くた
にして、必要以上におよしめようとするのだな。
近代捕鯨史をちょっとでも知ってる人が見ると、こういう日本製手前味噌
はみっともないです。
これは メッセージ 46892 (marique625 さん)への返信です.
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