捕鯨問題に関する国内世論の喚起(2)
投稿者: r13812 投稿日時: 2010/07/15 20:48 投稿番号: [45859 / 62227]
荒波への出航――PR活動の開始
捕鯨論争が火を噴いたのは、1972年5月、ストックホルムで開かれた、国連人間環境会議において、商業捕鯨の十年間モラトリアム(停止)が採択されてからだ。
モラトリアムの提案は日本側にとっては晴天のへきれきであった。なぜ環境会議で捕鯨問題が・・とあわてふためいているうちに、米国はロビー活動をすませていた。結局95対0という、問題にならない票差でモラトリアムは採択された(日本は反対国皆無とわかり棄権)。
業界にとっては一大ショックであった。従来の主力鯨種であったナガス、イワシの捕獲枠の削減が続いていたため、小型鯨のミンクに目をつけ、この年からこれまでの三船団に加えて、新しくミンク船団を出漁させる準備をすすめていたからだ。
日本側のショックは国際捕鯨委員会(IWC)の存在によって救われた。1972年6月、ロンドンで開かれたIWCの第24回の年次会議で、米国から提案された商業捕鯨の十年間モラトリアムは、「科学的根拠なし」という理由で否決されたのである。
IWCは国際捕鯨取締条約によって、1946年に設立された。捕鯨問題を管轄する、唯一の国際機関である。ここで、捕鯨モラトリアムに関して一応の結論が出た以上、この問題については一件落着となるのが、国際的な慣例であろう。だが、捕鯨のケースはそうではなかった。
1972年は“クジラ戦争”勃発の年となった。IWCのモラトリアム否決に、反捕鯨勢力は逆に奮起し、その組織力、活動力を次第に強めていった。
翌年、カナダに本拠をもつ環境保護団体のグリーンピースは、核実験反対から捕鯨禁止に活動目標を変更し、米国を含めたキャンペーンを開始した。ロンドンに本部のあるフレンズ・オブ・アース(自然保護団体)は、捕鯨禁止運動だけを展開する目的で、プロジェクト・ヨナという姉妹団体を発足させた。
このほかにも、世界野生生物基金、オーデュボン協会、シェラ・クラブ、動物保護国際協会、動物保護基金など、欧米の自然、動物保護団体がことごとく反捕鯨のノロシを上げた。このような動きは欧米のマスコミによって、意識的にと思われるほど取り上げられ、これを日本の一部マスコミも紹介した。
日本の捕鯨業界が真剣に危機感を持ち始めたのは、このころである。この年、1973年の第25回IWC年次会議で、米国は前年に続いてモラトリアムを提案したが、再び否決されている。だが、欧米の反捕鯨の嵐を手をこまねいて見ていると、そのうちIWCでのモラトリアム採択が実現するかもしれないという不安が深まったのである。
1974年1月、日本捕鯨協会内に、プロジェクト・チームが置かれた。「捕鯨問題対策協議会」という名のもとに、大洋漁業、日本水産、極洋三社の各捕鯨部から一人ずつ、それに日本捕鯨、日東捕鯨からそれぞれ一人、合わせて五人のメンバーが加わった。
国際PRが起用されたのは同年3月であった。これより1ヵ月前に、国際PR・カナダの社長、ディーン・ミラーから、東京に手紙が届いていた。グリーンピースの動きを伝え、効果的なPR活動の必要性を指摘した内容だった。われわれはこれを参考にPRプロポーザルを作成、「捕鯨問題対策協議会」に提出した。これが先方のニーズとぴたり合い、契約締結となった。捕鯨については孤立無援の日本の主張を背負い、国際世論の荒波へ出航したのである。
捕鯨論争が火を噴いたのは、1972年5月、ストックホルムで開かれた、国連人間環境会議において、商業捕鯨の十年間モラトリアム(停止)が採択されてからだ。
モラトリアムの提案は日本側にとっては晴天のへきれきであった。なぜ環境会議で捕鯨問題が・・とあわてふためいているうちに、米国はロビー活動をすませていた。結局95対0という、問題にならない票差でモラトリアムは採択された(日本は反対国皆無とわかり棄権)。
業界にとっては一大ショックであった。従来の主力鯨種であったナガス、イワシの捕獲枠の削減が続いていたため、小型鯨のミンクに目をつけ、この年からこれまでの三船団に加えて、新しくミンク船団を出漁させる準備をすすめていたからだ。
日本側のショックは国際捕鯨委員会(IWC)の存在によって救われた。1972年6月、ロンドンで開かれたIWCの第24回の年次会議で、米国から提案された商業捕鯨の十年間モラトリアムは、「科学的根拠なし」という理由で否決されたのである。
IWCは国際捕鯨取締条約によって、1946年に設立された。捕鯨問題を管轄する、唯一の国際機関である。ここで、捕鯨モラトリアムに関して一応の結論が出た以上、この問題については一件落着となるのが、国際的な慣例であろう。だが、捕鯨のケースはそうではなかった。
1972年は“クジラ戦争”勃発の年となった。IWCのモラトリアム否決に、反捕鯨勢力は逆に奮起し、その組織力、活動力を次第に強めていった。
翌年、カナダに本拠をもつ環境保護団体のグリーンピースは、核実験反対から捕鯨禁止に活動目標を変更し、米国を含めたキャンペーンを開始した。ロンドンに本部のあるフレンズ・オブ・アース(自然保護団体)は、捕鯨禁止運動だけを展開する目的で、プロジェクト・ヨナという姉妹団体を発足させた。
このほかにも、世界野生生物基金、オーデュボン協会、シェラ・クラブ、動物保護国際協会、動物保護基金など、欧米の自然、動物保護団体がことごとく反捕鯨のノロシを上げた。このような動きは欧米のマスコミによって、意識的にと思われるほど取り上げられ、これを日本の一部マスコミも紹介した。
日本の捕鯨業界が真剣に危機感を持ち始めたのは、このころである。この年、1973年の第25回IWC年次会議で、米国は前年に続いてモラトリアムを提案したが、再び否決されている。だが、欧米の反捕鯨の嵐を手をこまねいて見ていると、そのうちIWCでのモラトリアム採択が実現するかもしれないという不安が深まったのである。
1974年1月、日本捕鯨協会内に、プロジェクト・チームが置かれた。「捕鯨問題対策協議会」という名のもとに、大洋漁業、日本水産、極洋三社の各捕鯨部から一人ずつ、それに日本捕鯨、日東捕鯨からそれぞれ一人、合わせて五人のメンバーが加わった。
国際PRが起用されたのは同年3月であった。これより1ヵ月前に、国際PR・カナダの社長、ディーン・ミラーから、東京に手紙が届いていた。グリーンピースの動きを伝え、効果的なPR活動の必要性を指摘した内容だった。われわれはこれを参考にPRプロポーザルを作成、「捕鯨問題対策協議会」に提出した。これが先方のニーズとぴたり合い、契約締結となった。捕鯨については孤立無援の日本の主張を背負い、国際世論の荒波へ出航したのである。
これは メッセージ 45858 (r13812 さん)への返信です.
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