賄賂・強要・脅迫よりも、もっと悪いもの4
投稿者: ts657738 投稿日時: 2004/09/20 12:22 投稿番号: [4542 / 62227]
翻訳ソフト壊れたかな?
>証拠、たとえばどこどこの記事に載ったとか、
●証拠を出してもらいましょうか?
→だ・か・ら
当時朝日新聞の記者だった土井全二郎氏が、「最近捕鯨白書」(丸善ライブラリー)でこのように書いていると出しているでしょう。
もう一度、捕鯨ライブラリーから行こうか。交渉の当事者達自身の証言。「正義の価値は」も「最近捕鯨白書」も同じことを指摘している。
http://luna.pos.to/whale/jpn_zadan2.html
出席者:
斎藤 達夫:前IWCコミッショナー、農林水産省水産担当国際顧問
稲垣 元宣:日本捕鯨協会会長
安成 梛子(司会):水産経済新聞社社長
斉藤 私は 1977年から米沢さんのお供で IWC会議に出て、85年から 3年間コミッショナーをやりました。実はそれより前、77年から導入された管理方式の下で個々の鯨種の捕獲ワクについて、とんでもない決定がどんどんされていった。当時の米沢コミッショナーはいろいろ頑張って先細りを食い止めようと必死の努力をされました。しかし、捕獲ワクの問題のほかに南氷洋のマッコウ漁の禁止、インド洋のサンクチャリー、ミンク以外は母船式操業の禁止というようなことが重なってきた。そして沿岸のマッコウも捕獲ワクゼロということになり、それを日本側が特別会議で巻き返すとかというようなことを繰り返してきた。 82年の IWC会議で 3年後の商業捕鯨の全面禁止が採択され、これに対し日本は異議申し立てをしたわけですが、84年 12月の日米捕鯨協議はそれまで何度も IWC会議で焦点になった沿岸のマッコウ資源のワクの問題だった。沿岸マッコウについては IWCの付表に 81年だったか「IWC会議でワクが出なければ、出漁できない」という決定が書き加えられて、日本はこの項に異議申し立てをしたけれど、この年の IWCは 84年のワクをださなかった。出漁直前になってどうするかで日米協議が行なわれ、結局、84と 85年漁期は 400頭ずつ継続して獲ることにアメリカは目をつぶる。その代わり日本は、マッコウのワクの問題についての異義申し立てを撤回しろということになった。
司会 それは沿岸のマッコウだけについてですか。
斉藤 マッコウだけという取り決めでした。しかし協議が終わり文書を取り交わす段階になってアメリカが「そのほかの鯨種についてもモラトリアム発効後も 2年に限り捕鯨をしてもいい。その後に異義申し立てを撤回するなら」という提案を一方的につけ加えてきた。日本はそんなもの受けられないですよ。まして南氷洋のミンクは資源状態もいいとわれわれは自信をもっていましたから。だから 84年の合意はあくまで沿岸のマッコウのワクの問題だけの合意だった。そのうちにやはり有形無形の圧力がかかってきた。その一部は北洋関係者や国会議員の先生方だったし、「クジラと北洋はどっちが大事なんだ」とか言う人もいた。なかなか国内の足並みも揃わなかった。
司会 稲垣さん。当時の捕鯨業界の反応はどうでしたか。
稲垣 モラトリアム採択後の日米協議で中心議題はマッコウだけと思っていたら、マッコウ以外の南氷洋の問題も話をつけようということになって、書簡が交換されたんですね。その書簡についての受けとめ方は日米で違うのですが、当時は日米の力関係で異議申し立てを撤回すれば、2年は認めてやる、アメリカもマグナソン法(PM法)などの制裁措置はとらないということでした。
斉藤 いや、84年の日米の取り決めはマッコウだけでして、そのほかにアメリカの一方的な提案があった。マッコウとは形式的には分離されています。私としては蹴飛ばすつもりでいたんですけど、最終的にはいろんな事情でほかに日本の捕鯨が長続きする方法はなかったのです。
>証拠、たとえばどこどこの記事に載ったとか、
●証拠を出してもらいましょうか?
→だ・か・ら
当時朝日新聞の記者だった土井全二郎氏が、「最近捕鯨白書」(丸善ライブラリー)でこのように書いていると出しているでしょう。
もう一度、捕鯨ライブラリーから行こうか。交渉の当事者達自身の証言。「正義の価値は」も「最近捕鯨白書」も同じことを指摘している。
http://luna.pos.to/whale/jpn_zadan2.html
出席者:
斎藤 達夫:前IWCコミッショナー、農林水産省水産担当国際顧問
稲垣 元宣:日本捕鯨協会会長
安成 梛子(司会):水産経済新聞社社長
斉藤 私は 1977年から米沢さんのお供で IWC会議に出て、85年から 3年間コミッショナーをやりました。実はそれより前、77年から導入された管理方式の下で個々の鯨種の捕獲ワクについて、とんでもない決定がどんどんされていった。当時の米沢コミッショナーはいろいろ頑張って先細りを食い止めようと必死の努力をされました。しかし、捕獲ワクの問題のほかに南氷洋のマッコウ漁の禁止、インド洋のサンクチャリー、ミンク以外は母船式操業の禁止というようなことが重なってきた。そして沿岸のマッコウも捕獲ワクゼロということになり、それを日本側が特別会議で巻き返すとかというようなことを繰り返してきた。 82年の IWC会議で 3年後の商業捕鯨の全面禁止が採択され、これに対し日本は異議申し立てをしたわけですが、84年 12月の日米捕鯨協議はそれまで何度も IWC会議で焦点になった沿岸のマッコウ資源のワクの問題だった。沿岸マッコウについては IWCの付表に 81年だったか「IWC会議でワクが出なければ、出漁できない」という決定が書き加えられて、日本はこの項に異議申し立てをしたけれど、この年の IWCは 84年のワクをださなかった。出漁直前になってどうするかで日米協議が行なわれ、結局、84と 85年漁期は 400頭ずつ継続して獲ることにアメリカは目をつぶる。その代わり日本は、マッコウのワクの問題についての異義申し立てを撤回しろということになった。
司会 それは沿岸のマッコウだけについてですか。
斉藤 マッコウだけという取り決めでした。しかし協議が終わり文書を取り交わす段階になってアメリカが「そのほかの鯨種についてもモラトリアム発効後も 2年に限り捕鯨をしてもいい。その後に異義申し立てを撤回するなら」という提案を一方的につけ加えてきた。日本はそんなもの受けられないですよ。まして南氷洋のミンクは資源状態もいいとわれわれは自信をもっていましたから。だから 84年の合意はあくまで沿岸のマッコウのワクの問題だけの合意だった。そのうちにやはり有形無形の圧力がかかってきた。その一部は北洋関係者や国会議員の先生方だったし、「クジラと北洋はどっちが大事なんだ」とか言う人もいた。なかなか国内の足並みも揃わなかった。
司会 稲垣さん。当時の捕鯨業界の反応はどうでしたか。
稲垣 モラトリアム採択後の日米協議で中心議題はマッコウだけと思っていたら、マッコウ以外の南氷洋の問題も話をつけようということになって、書簡が交換されたんですね。その書簡についての受けとめ方は日米で違うのですが、当時は日米の力関係で異議申し立てを撤回すれば、2年は認めてやる、アメリカもマグナソン法(PM法)などの制裁措置はとらないということでした。
斉藤 いや、84年の日米の取り決めはマッコウだけでして、そのほかにアメリカの一方的な提案があった。マッコウとは形式的には分離されています。私としては蹴飛ばすつもりでいたんですけど、最終的にはいろんな事情でほかに日本の捕鯨が長続きする方法はなかったのです。
これは メッセージ 4534 (ts657738 さん)への返信です.
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