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A. ダービー著「ハプーン」

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2010/05/17 19:25 投稿番号: [44037 / 62227]
英文に変換ミスがわりとあって読みにくいので日本語訳しました。
見直ししてないから、かなり雑な訳だと思うけど...

===’HARPOON’ by Andrew DARBY、121−122頁

1950年代、オナシスの時代から、捕鯨という水辺の周辺を蟹のように
這い回る海賊捕鯨が横行していた。
海賊捕鯨船は船尾に傾斜ランプを付けるという改造をほどこした
トロール加工船だったり、船首に小型ハプーン砲をボルト締めで付け
加えた沿岸漁船だったりした。

彼らは大西洋や太平洋の静かな片隅にひそみ、一部は地方市場で
商売をしていたが、ほとんどは鯨肉を冷凍して日本へ送っていた。
誰もIWCの鯨種やサイズ規制に従うという気遣いはしていなかった。
人道的捕殺法というのは範疇外だった。

海賊捕鯨とその国際ビジネスの裂け目を明らかにするために隠密行動
がとられた。ニック・カーターという名の英国野生生物保護者が
1975年にIWCへ汽船シエラ号(MV Sierra)についての報告書を
提出したことが、ワトソンに最初のターゲットを与えることになった。

この船は乗組員自身ががそのことを外部へ漏らすほど悪どい
海賊船だった。シエラ号は650トンのオランダ探鯨船を改造したもので、
船尾には鯨引き上げ用の傾斜を付け、鯨肉加工の設備を新設した
船だった。

カーターはこの船がノルウェーの管理下でラン号(MV Run)という
船名のもとに、1968年以来操業していることに気付いた。最良の鯨肉は
東京のニッスイへ輸出し、二級品は英国へペットフードとして
売っていた。1972年に操船の権限は南アフリカに拠点を置く
アンドリュー・ベーア(Andrew Behr)の手に移り、大洋漁業カナダ
と鯨肉供給の契約が結ばれた。略奪乱獲はシエラレオネのフリー
タウン港を拠点として続けられた。

カーターは政府記録と財務諸表を通じてシエラ号を追跡した。
海洋世界の岩の下を見通すような作業だった。

彼はエンジニアの専門雑誌に小さな広告を掲載することでチャンスを
つかんだ。シエラ号で働いていた海洋エンジニアから回答が寄せられた
のである。

「この技師は勇敢にも海賊行為をビデオ撮りした。絶滅危惧種の
ザトウクジラがスリップウェイを引き上げられ、解体されて日本市場の
ために箱詰めにされている状況を撮影したのだ。」

カーターの海賊捕鯨小史に、この密告者による消しがたい証拠が
残された。IWCでもう20年も前から保護下に置かれているザトウクジラが
1975年にシエラ号の船尾で撮影されたのだ。キャビンでは串刺し
にされ、甲板には見間違うことの無い羽のような胸びれが横たわっていた。

IWCがざわめき、公式の批難が1977年の反海賊捕鯨決議として
表明された。非難対象の欲張りは鼻先に親指をあてて両手をひらひら
させた。

彼らは新たにトンナ(Tonna)号という船を買い足したのである。
この船は1978年7月に、ナガスクジラの死体の重みで傾き、叙事詩の
ように沈没した。南アフリカ最後の合法猟線船2隻はベーアの娘たち
にちなんでスーザン(Susan )とテレーザ(Theresa)と命名された。
日本のトロール船を改造したものがアストリッド(Astrid)号である。

南アフリカ政府が反海賊法を立法し、彼らのビジネスリンクが
おりから改訂作業に入っていた米国パッカード・マグヌソン法に
関する議会公聴会で照明を当てられることになった。米国は
日本の水産利益を米国水産界から排除すると迫った。日本政府は
非IWC諸国からの鯨肉受け入れを禁止する独自の立法でこれに
答えた。

(つづく)
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