イヌイットのホッキョククジラ捕鯨
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2010/05/05 07:56 投稿番号: [43733 / 62227]
Encyclopedia of Marine Mammals [Book]
by William F. Perrin, Bernd Würsig, J. G. M. Thewissen
海洋哺乳類エンサイクロペディア第2版(2008年)628ー637頁
Inuit and Marine Mammals イヌイットと海洋哺乳類
Anne M. Jensen, Glenn W. Sheehan, and Stephen A. MacLean
I. Precontact Whaling
I.(西洋人との) 接触以前の捕鯨
原住民捕鯨は約2000年前に、ベーリング海とベーリング海峡で、
オクヴィック(Okvik)文化および旧ベーリング文化とともに発展した
と一般的に考えられている。
海洋哺乳類を捕獲したり処理するための多様で複雑な道具類が
さかんに作られたのは紀元前100年から紀元後600年にかけて
であり、このような道具や武器は技術革新の中心でありつづけた。
このことは、大型鯨類および他の海洋哺乳類への依存が増大
しつづけたことを示している(Stoker and Krupnik, 1993)。
初期のグループと後期のグループでははっきりした違いが
見られる。初期のグループは鯨を捕ってはいたがそれに依存して
いたわけではない。後期のグループは彼らの生存を捕鯨に
依存していた。
この違いのひとつは技術的なものであり、他は社会的なもの
である。
(釣竿リールのような)牽引装置を導入したことで、捕鯨が「風向き
まかせ」の幸運な「状況」仕事から、「通常」の作業に代わり、
投入した労力に見合う見返りをうるという、基本的な生業となった。
Umialik(捕鯨キャプテン)が臨時の狩猟リーダーから恒常的な
政治的リーダーとなり、捕鯨の余剰を共同体全体に配分する
責任を負うことになった。住民は繁栄し、成長した。
技術変化と社会的変化が相乗して西暦800‐900年にはじまる
Punuk およびトゥーリー(Thule)文化に結実した。
大型鯨類捕鯨の拡大は、トゥーリー文化の北アメリカから
グリーンランドへの拡散とともにはじまったと一般的に
認められているが、捕鯨自体はいろいろな地方で相互に
無関係に発展したものであろう。
このうち、もっとも初期のものはラブラドルとニューファウンドランド
北極圏海岸部のものであり、およそ紀元前3000年にはじまった
ものである。
北極圏沿岸部は、先端がトグル式(#刺して引くと先端が回転
して抜けなくなる http://www.mnh.si.edu/Arctic/features/croads/ekven10.html
参照)の銛をもっとも早く使った文化の一つであると考え
られている。
Mobjerg (1999)はグリーンランド西岸のサカック(Saqqaq)文化が、
遅くとも紀元前1600‐1400年頃にはヒゲクジラを捕獲していた
らしいと報告しているが、この文化は北アメリカ北極圏全域に
広がる小道具使用の伝統に属している。
興味深いのはアラスカ海峡(サウンド)近く、ケープ・クルーゼン
シュテルン(Cape Krusenstern) のいわゆる古代捕鯨文化である。
これは紀元前1800年ごろ突然出現し、その後短期間で消滅した。
ここの人々は大型の槍とモリの矢尻を使っており、ヒゲクジラ類を
狩猟していた可能性がある。この地域に鯨の骨が多数見つかる
ことから、発見当事者は捕鯨が行われていたと考えたが、
この技術がのちの文化に伝えられたという証拠はない(Giddings,
1967 ) 。
さらに発掘資料を再分析した結果、捕鯨の証拠という主張に疑問が
投げかけられている(Darweut. 2006)。
(つづく)
by William F. Perrin, Bernd Würsig, J. G. M. Thewissen
海洋哺乳類エンサイクロペディア第2版(2008年)628ー637頁
Inuit and Marine Mammals イヌイットと海洋哺乳類
Anne M. Jensen, Glenn W. Sheehan, and Stephen A. MacLean
I. Precontact Whaling
I.(西洋人との) 接触以前の捕鯨
原住民捕鯨は約2000年前に、ベーリング海とベーリング海峡で、
オクヴィック(Okvik)文化および旧ベーリング文化とともに発展した
と一般的に考えられている。
海洋哺乳類を捕獲したり処理するための多様で複雑な道具類が
さかんに作られたのは紀元前100年から紀元後600年にかけて
であり、このような道具や武器は技術革新の中心でありつづけた。
このことは、大型鯨類および他の海洋哺乳類への依存が増大
しつづけたことを示している(Stoker and Krupnik, 1993)。
初期のグループと後期のグループでははっきりした違いが
見られる。初期のグループは鯨を捕ってはいたがそれに依存して
いたわけではない。後期のグループは彼らの生存を捕鯨に
依存していた。
この違いのひとつは技術的なものであり、他は社会的なもの
である。
(釣竿リールのような)牽引装置を導入したことで、捕鯨が「風向き
まかせ」の幸運な「状況」仕事から、「通常」の作業に代わり、
投入した労力に見合う見返りをうるという、基本的な生業となった。
Umialik(捕鯨キャプテン)が臨時の狩猟リーダーから恒常的な
政治的リーダーとなり、捕鯨の余剰を共同体全体に配分する
責任を負うことになった。住民は繁栄し、成長した。
技術変化と社会的変化が相乗して西暦800‐900年にはじまる
Punuk およびトゥーリー(Thule)文化に結実した。
大型鯨類捕鯨の拡大は、トゥーリー文化の北アメリカから
グリーンランドへの拡散とともにはじまったと一般的に
認められているが、捕鯨自体はいろいろな地方で相互に
無関係に発展したものであろう。
このうち、もっとも初期のものはラブラドルとニューファウンドランド
北極圏海岸部のものであり、およそ紀元前3000年にはじまった
ものである。
北極圏沿岸部は、先端がトグル式(#刺して引くと先端が回転
して抜けなくなる http://www.mnh.si.edu/Arctic/features/croads/ekven10.html
参照)の銛をもっとも早く使った文化の一つであると考え
られている。
Mobjerg (1999)はグリーンランド西岸のサカック(Saqqaq)文化が、
遅くとも紀元前1600‐1400年頃にはヒゲクジラを捕獲していた
らしいと報告しているが、この文化は北アメリカ北極圏全域に
広がる小道具使用の伝統に属している。
興味深いのはアラスカ海峡(サウンド)近く、ケープ・クルーゼン
シュテルン(Cape Krusenstern) のいわゆる古代捕鯨文化である。
これは紀元前1800年ごろ突然出現し、その後短期間で消滅した。
ここの人々は大型の槍とモリの矢尻を使っており、ヒゲクジラ類を
狩猟していた可能性がある。この地域に鯨の骨が多数見つかる
ことから、発見当事者は捕鯨が行われていたと考えたが、
この技術がのちの文化に伝えられたという証拠はない(Giddings,
1967 ) 。
さらに発掘資料を再分析した結果、捕鯨の証拠という主張に疑問が
投げかけられている(Darweut. 2006)。
(つづく)
これは メッセージ 43732 (aplzsia さん)への返信です.
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