Re: 水産庁の情報操作/日本の信用
投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/09/20 21:42 投稿番号: [38097 / 62227]
>リベラリストの書くどんな偏向論文でも、査読者がいるなら、
>原則どおり信用度の高いもの・・・と鵜呑みするのがaplzsia君の信条なんだ(苦笑)。
リベラリストとレッテル貼るだけでネガティブキャンペーンが
成功してた小泉ネオコン時代というのはもう終わったと思ってたんだが...w
査読制度、ピアレビューというのがどういう重要性を持つのか、
おそらく自民党でも民主党でも共和党でも、まともに政策の
確かさを考える人たちなら受け入れるだろうという説明を
たまたま手にした雑誌から引用しておきます。
=====
「科学的知識は、絶対的真理であることはほとんどない。科
学的知識の正しさは暫定的なものである。ただし、科学には
知識を改良するしくみがある。その基本は同僚による評価
(peer review)であり、論文出版前の査読と、出版後、別の論文
などの形での公開の批評とを含む。これが成り立つために、
科学者は一方で専門分科内で共通の概念体系を学ぶこと、他
方で師匠を含む同僚の仕事を批判できることが必要である。
科学は伝統と革新との緊張関係で成り立っているのだ。
......
温暖化懐疑論のうちには「気候の科学は政治によってゆが
められており、信頼できない」と主張するものがある。
確かにIPCCは政府間機関であるし、日本を含めた各
国で、IPCC報告書に反映されることをめざした研究が国
家プロジェクトとして行われている。科学者が自発的に真
理を探求するというアカデミック科学の理念型とは違いがあ
る。政策のための科学は、アカデミック科学とは違った価値基
準をもった「規制科学」(regulatory science)と呼ばれるようなも
のだという考えもある。
現実には、アカデミック科学と規制科学の両類型の間にい
ろいろな実践がある。そしてIPCCの価値基準はアカデミ
ック科学に近い。ひとつには、IPCCには直接政治に関与
する権限が与えられず、科学的知見の評価報告をするだけだ
からである。また、IPCCは、レビューの対象を原則とし
て査読を経た学術論文とし、さらに報告書原稿について他の
専門家の査読を受けることにしている。つまり、知識の品質
管理のしくみとしてアカデミック科学の同僚評価を採用して
いる。ただし、国家プロジェクトでは、研究テーマがトップ
ダウンであり、また答えを出す期限が設定されている点は、
従来のアカデミック科学と違う。研究者の思考や結論がスポ
ンサーの望む方向に誘導されないかという心配は正当なもの
だが、日本のIPCC第一作業部会への貢献を見る限りでは、
そのような弊害は現れていないと思う。
アカデミック科学には、専門分科内の相互批判はあるもの
の、分科間ではことばが通じなくなりがちだという欠点がある。
しかし、気候変化の研究では、気象モデル開発だけでも複数
の分科の人が共同でかかわる必要があるし、気候影響評価で
は、さらに多くの分科の人の間で情報の意味を理解しあう必
要がある。専門分科の弊害をまぬかれているわけではないが、
それを避ける努力が積極的に行われている分野なのである。」
<増田耕一(海洋研究開発機構地球環境フロンティア研究
センター水循環プログラム・サブリーダー)「地球温暖化を
過不足なく理解する」、月刊世界、2007.9、p.133ー141>
======
>一国の政府が、個々の私企業の出資動静など知る由も無いのは、
>査読論文に根拠を求めるまでも無い事だが。
「個々の私企業の出資動静」はちゃんと知っていて、それが国際条約や、
国際合意次項には違反するけど、国内法、条例の運用いかんでは
目こぼしできるという領域を作っておくのが天下り先創りの王道だと、
そんなことは今時中学生でも知ってることじゃないかい?
>原則どおり信用度の高いもの・・・と鵜呑みするのがaplzsia君の信条なんだ(苦笑)。
リベラリストとレッテル貼るだけでネガティブキャンペーンが
成功してた小泉ネオコン時代というのはもう終わったと思ってたんだが...w
査読制度、ピアレビューというのがどういう重要性を持つのか、
おそらく自民党でも民主党でも共和党でも、まともに政策の
確かさを考える人たちなら受け入れるだろうという説明を
たまたま手にした雑誌から引用しておきます。
=====
「科学的知識は、絶対的真理であることはほとんどない。科
学的知識の正しさは暫定的なものである。ただし、科学には
知識を改良するしくみがある。その基本は同僚による評価
(peer review)であり、論文出版前の査読と、出版後、別の論文
などの形での公開の批評とを含む。これが成り立つために、
科学者は一方で専門分科内で共通の概念体系を学ぶこと、他
方で師匠を含む同僚の仕事を批判できることが必要である。
科学は伝統と革新との緊張関係で成り立っているのだ。
......
温暖化懐疑論のうちには「気候の科学は政治によってゆが
められており、信頼できない」と主張するものがある。
確かにIPCCは政府間機関であるし、日本を含めた各
国で、IPCC報告書に反映されることをめざした研究が国
家プロジェクトとして行われている。科学者が自発的に真
理を探求するというアカデミック科学の理念型とは違いがあ
る。政策のための科学は、アカデミック科学とは違った価値基
準をもった「規制科学」(regulatory science)と呼ばれるようなも
のだという考えもある。
現実には、アカデミック科学と規制科学の両類型の間にい
ろいろな実践がある。そしてIPCCの価値基準はアカデミ
ック科学に近い。ひとつには、IPCCには直接政治に関与
する権限が与えられず、科学的知見の評価報告をするだけだ
からである。また、IPCCは、レビューの対象を原則とし
て査読を経た学術論文とし、さらに報告書原稿について他の
専門家の査読を受けることにしている。つまり、知識の品質
管理のしくみとしてアカデミック科学の同僚評価を採用して
いる。ただし、国家プロジェクトでは、研究テーマがトップ
ダウンであり、また答えを出す期限が設定されている点は、
従来のアカデミック科学と違う。研究者の思考や結論がスポ
ンサーの望む方向に誘導されないかという心配は正当なもの
だが、日本のIPCC第一作業部会への貢献を見る限りでは、
そのような弊害は現れていないと思う。
アカデミック科学には、専門分科内の相互批判はあるもの
の、分科間ではことばが通じなくなりがちだという欠点がある。
しかし、気候変化の研究では、気象モデル開発だけでも複数
の分科の人が共同でかかわる必要があるし、気候影響評価で
は、さらに多くの分科の人の間で情報の意味を理解しあう必
要がある。専門分科の弊害をまぬかれているわけではないが、
それを避ける努力が積極的に行われている分野なのである。」
<増田耕一(海洋研究開発機構地球環境フロンティア研究
センター水循環プログラム・サブリーダー)「地球温暖化を
過不足なく理解する」、月刊世界、2007.9、p.133ー141>
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>一国の政府が、個々の私企業の出資動静など知る由も無いのは、
>査読論文に根拠を求めるまでも無い事だが。
「個々の私企業の出資動静」はちゃんと知っていて、それが国際条約や、
国際合意次項には違反するけど、国内法、条例の運用いかんでは
目こぼしできるという領域を作っておくのが天下り先創りの王道だと、
そんなことは今時中学生でも知ってることじゃないかい?
これは メッセージ 38095 (nobu_ichi95 さん)への返信です.
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