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Re: 帆船捕鯨の解体法

投稿者: aplzsia 投稿日時: 2009/08/24 09:07 投稿番号: [37445 / 62227]
>当たり前だよ、帆船式捕鯨のキャッチャーボートはみんなオープンボートだよ。

オッさんが貼付けてくれたSC/A06/HW53というpdfファイルの8頁、色付き
世界地図見るとたとえ帆船のログブックに載ってても、岸から直接オープンボート
でいけるとこだけでザトウクジラ捕ってるってことがわかるよ。

そもそもヒゲクジラ類の鯨油はマッコウクジラのマッコウ油より市場価格が
低いし、ザトウの髭板は短くて品質が悪いからセミクジラやホッキョククジラ
みたいに商品化できない。したがって元々マッコウクジラ漁を目的として
太平洋に入ってきた捕鯨船はまともにザトウクジラを捕ろうとしない。

日本からいちばん近いザトウクジラ捕獲地は地図見るとグアム島だね。
ハワイと並んで有数の北太平洋捕鯨船寄港地だ。ここでは欧米人船長が
現地人に捕鯨を教えて捕鯨船の船員にしてるね。そんな中で現地人との
物々交換のためにザトウクジラを捕ったのでしょう。

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History of Guam
By Lawrence J. Cunningham, Janice J. Beaty
Chapter 10
Whalers on Guam
1815年にスペインガレオン船は太平洋航海を停止した(#メキシコ革命)
しかし年々西部太平洋を訪れる捕鯨船の数が増した。
捕鯨者たちは赤道の北側に豊かな漁場を見つけた。
これが意味したのは、捕鯨船が半年「線の下(赤道以南)」でマッコウクジラ
を捕鯨し、他の半年を日本及び小笠原諸島の北方漁場で捕鯨したという
ことである。彼らはマリアナ諸島でいくらかザトウクジラを捕鯨した。
この両シーズンの間には多くの捕鯨船がグアムに停泊した。
食糧と水を積む間、船員に休息を与えたのである。彼らは島に新しい
ビジネスをもたらした。補給に金を使った。彼らは沢山のサツマイモ(kamuti)
を買った。サツマイモは劣化が遅かった。1820年から1860年にかけて
多くの捕鯨船が島を訪れた。毎年30隻、時にはそれより多くの船が
アプラ(Apra)港に入った。

グアムの若者で捕鯨手になった者もいた。若い女性もこれの加わったこと
がある。1840年にジョン・ミリンチャンプ(John Millinchamp)は
二人のチャモロ(Chamorro)女性を船に乗せた。彼は小笠原諸島へ
向かい、そこに定住した。彼らの子孫が現在でも父島とグアムに生活
している。
===========
上の訳文で「他の半年を日本及び小笠原諸島の北方漁場で捕鯨」というのも、
オッサッンの貼ってくれたpdfにあるタウンゼント捕鯨チャートDのシリーズ
別シート、AとB見ると明らかにマッコウクジラ漁っだということがわかる。
彼らの言う「ジャパングラウンド」というのではマッコウしか捕ってない。

1840頃になるともっと北方のセミクジラへ関心が高まるけど(コルセットや
スカートの骨用の髭板の需要が増加して値段が上がったから)、1848年に
ベーリング海でホッキョククジラの大漁場が発見されるとセミクジラへの
関心は急速に低下する。ホッキョククジラの髭板のほうが長くて商品価値が
高いから。

米国式捕鯨が日本周辺に関心を持ったのはほんのわずかな期間なんだね。
ちなみに米国式捕鯨(ヤンキー捕鯨)と言っても、米国船籍の船だけじゃない。
REP. INT. WHAL. COMMN 41, 1991、468ページによると1845年に
北太平洋捕鯨の要の位置にあったホノルルへ寄港した捕鯨帆船161隻のうち
21%は米国外の船籍だったそうだ。フランス19、ブレーメン6 、
ニューブランズウィック 3、デンマーク 2 、ハノーヴァー、
ノルウェー、プロイセン、ハンブルクそれぞれ1隻といった具合だね。
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