血浦転じて敦賀
投稿者: ts657738 投稿日時: 2004/08/25 20:19 投稿番号: [3674 / 62227]
献じられたイルカの血の匂いで浦一面が満たされた故に血浦という。
何かとても壮絶な光景にも感じますが、古代の人達はそうやって生き抜いてきたんでしょうねえ。ある意味では小船と銛さえあれば何とか食料にありつけたなら、当時の人間達にとっては有難い存在だったのかもしれません。
魚を追って小型の鯨が入り江に近づく。魚ごとまとめて人間の食料になったなら、当時の人間には本当に有難い存在ですね。野生の鹿や猪を追いかけて捕まえるよりも、余程効率が良かったかもしれない。沢山群れをなして近づいてくる鯨は、小型とは言えどもボリュームたっぷりで食べ応えもあったのでしょう。
まさしく自然からの有難い贈り物といったところなのでしょう。有難いから神様に献上する神話になってしまうのでしょう。
耕作をやっていれば骨が良い肥料になると気がついたかもしれませんが、縄文だと骨はまとめて捨てたんでしょう。それが見つかっている。骨を細かく砕いて畑にまいたら、土に還って見つからない。日本人がいつ頃から捕鯨したかなんて判らなかったかも。
当時はどうやって食べたのだろうというのも気になります。
新鮮な刺身でガンガンいったのか、串焼きにでもしたか、土器で煮たか。保存用に干し肉にしたりして。燻製くらい作ったかな。塩鯨なんてやったりして。まあ、いずれにせよ2000年に及ぶ堂々たる日本伝統の味覚だったりしますね。
ネギや生姜、紫蘇なんて使ったのでしょうかね?調味料なんて塩くらいかな、山椒といのもありか。果物から酒くらい作っただろうから、やっぱり鯨で一杯かな。
フム、と考えながら今宵も一献・・。
古代史における捕鯨史というのも、なにやら歴史ロマンと自然ロマンの混ざったいい感じのものだと思います。
これは メッセージ 3663 (crawlingchaos_g さん)への返信です.
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