Re: 星川氏はバカなんじゃないだろうか
投稿者: assaraamaaleicomnjp 投稿日時: 2008/06/13 17:46 投稿番号: [25366 / 62227]
>沿岸部を中心としたごく一部の熱狂的動物愛護主義者等がクジラを擬人化したり聖獣視するかの様なパフォーマンスを見せたりしていますが...
時々思うのですが、彼らの中には、潜在的にか顕在的にかどうかは知りませんが、ある種の動物肉食をしている事への原罪意識みたいなモノがあるんじゃないでしょうかねえ。私が小さい頃に感じた、ペットに対する異常(昔の日本人の感覚から見た場合)なまでの可愛がりようには、非常にとまどいを感じました。ペットや野生生物に対する私なんかから見れば異常だと思えるようなかわいがりっこには、その裏に彼らの「後ろめたさ」の裏返しではないだろうか?と思うことがあります。
かと思えば、時々そう言うところのほころびも見えてきますよねえ。
犬や馬などに対する人間への利用の為に盲導犬や警察犬、競走馬などのように非常に冷徹に訓練し、容赦なく品種改良したりして、利用価値のないモノは抹殺する。基本的に犬らに対する考え方が「人間のために存在するもの」という非常に人間中心主義的な考え方を、所々に不用意に晒すことになっているわけですよね。イルカなんか、昔は、魚雷を背負わせて船に体当たりさせて人間のために死なせる事を訓練していたんですよねえ。
結局「人間のために」存在するわけですから、本質的には、「食べる為に殺す」と言うことと何ら変わりがない(どころか、【無駄死に(利用できないモノは死んでも可)】を容認するという意味で東洋的(日本的?)な考え方ではより罪深いかも知れない)ということに気がついていないで、非常に浅薄な感情論が優先しているように感じてしまいます。
>たまにニュースで取り上げられる事があっても、ソースが反捕鯨団体しか無いし、有名人が反捕鯨運動にも参加しているからなのか”反捕鯨”風の内容になってしまっていますけど...
基本的に、耳アタリのいい方向を人間は選択するんだろうなあ・・という風に感じます。「殺して食う」よりも、「保護してウォッチングする」方が受け入れられやすいことはなんか変に納得できたりしますよね。振り返ってみれば、牛を殺して生きているという殺伐とした現実の直視を、何とか「自分はクジラを愛する優しい人間である」というようなファンタジーに変換して誤魔化し、誤魔化されながら生きているんだなあと言う気がします。
※結構こういう二者択一方法や広告塔の存在という材料は、カルトと共通するモノを感じてしまうんですけどね。
>アメリカ代表は、「日本が独自の文化を維持するために行う沿岸捕鯨には賛成する...」と発言しているんですよ。(これ聞いたときは引っくり返りそうになりましたけど)
伊勢神宮の40年に一回造り替えるという文化の必要性や、7年に一回行われる御柱祭りなど、そこにどういう文化的な必要性があるのか?みたいなことが、彼らに理解できているのかどうか、(勿論日本人の私自身でさえ心許ないわけですが)なんか薄っぺらい感じがするんですよねえ。
※ここに、日本には、しかし「分からないならばとりあえず継続しておこう」みたいなことも含めて文化だと思うんですよねえ。
>豪州やNZの代表様が見せたような、少々子供の喧嘩を連想させる感情剥き出しの対決姿勢って感じないんですよ。
何らかの役割分担みたいな事を感じないですか?
私はうがちすぎだと言われるんですが、イラク戦争でも、アメリカの直情的な武力侵略に対して、フランスやイギリス(こっちは結構意欲的でしたが)の大人の対応は、何というか「アメリカは嫌いだ、けれどもフランスはまだ・・」みたいな感情をわかせましたが、結局石油がねらいであったことは双方同じで、結局欧米の利益独占に非常に有効だった気がするんですよね。
アヘン戦争時代から、なんだか、よってたかって欧米がいろんな画策をして悪魔や天使を演じながら、結局欧米だけが潤っていくんですよねえ。
ヤルタ会談なんか、その集大成みたいな気がします。
>ただ昨年の時点で「我慢にも限度がある」という発言を記者会見場でしていますので、今度は「我慢の限度を超えたらこういうことになる」という事を、具体的示していかなければならないくなって行くのでは無いでしょうか。
これも大変ですよねえ・・。
時々思うのですが、彼らの中には、潜在的にか顕在的にかどうかは知りませんが、ある種の動物肉食をしている事への原罪意識みたいなモノがあるんじゃないでしょうかねえ。私が小さい頃に感じた、ペットに対する異常(昔の日本人の感覚から見た場合)なまでの可愛がりようには、非常にとまどいを感じました。ペットや野生生物に対する私なんかから見れば異常だと思えるようなかわいがりっこには、その裏に彼らの「後ろめたさ」の裏返しではないだろうか?と思うことがあります。
かと思えば、時々そう言うところのほころびも見えてきますよねえ。
犬や馬などに対する人間への利用の為に盲導犬や警察犬、競走馬などのように非常に冷徹に訓練し、容赦なく品種改良したりして、利用価値のないモノは抹殺する。基本的に犬らに対する考え方が「人間のために存在するもの」という非常に人間中心主義的な考え方を、所々に不用意に晒すことになっているわけですよね。イルカなんか、昔は、魚雷を背負わせて船に体当たりさせて人間のために死なせる事を訓練していたんですよねえ。
結局「人間のために」存在するわけですから、本質的には、「食べる為に殺す」と言うことと何ら変わりがない(どころか、【無駄死に(利用できないモノは死んでも可)】を容認するという意味で東洋的(日本的?)な考え方ではより罪深いかも知れない)ということに気がついていないで、非常に浅薄な感情論が優先しているように感じてしまいます。
>たまにニュースで取り上げられる事があっても、ソースが反捕鯨団体しか無いし、有名人が反捕鯨運動にも参加しているからなのか”反捕鯨”風の内容になってしまっていますけど...
基本的に、耳アタリのいい方向を人間は選択するんだろうなあ・・という風に感じます。「殺して食う」よりも、「保護してウォッチングする」方が受け入れられやすいことはなんか変に納得できたりしますよね。振り返ってみれば、牛を殺して生きているという殺伐とした現実の直視を、何とか「自分はクジラを愛する優しい人間である」というようなファンタジーに変換して誤魔化し、誤魔化されながら生きているんだなあと言う気がします。
※結構こういう二者択一方法や広告塔の存在という材料は、カルトと共通するモノを感じてしまうんですけどね。
>アメリカ代表は、「日本が独自の文化を維持するために行う沿岸捕鯨には賛成する...」と発言しているんですよ。(これ聞いたときは引っくり返りそうになりましたけど)
伊勢神宮の40年に一回造り替えるという文化の必要性や、7年に一回行われる御柱祭りなど、そこにどういう文化的な必要性があるのか?みたいなことが、彼らに理解できているのかどうか、(勿論日本人の私自身でさえ心許ないわけですが)なんか薄っぺらい感じがするんですよねえ。
※ここに、日本には、しかし「分からないならばとりあえず継続しておこう」みたいなことも含めて文化だと思うんですよねえ。
>豪州やNZの代表様が見せたような、少々子供の喧嘩を連想させる感情剥き出しの対決姿勢って感じないんですよ。
何らかの役割分担みたいな事を感じないですか?
私はうがちすぎだと言われるんですが、イラク戦争でも、アメリカの直情的な武力侵略に対して、フランスやイギリス(こっちは結構意欲的でしたが)の大人の対応は、何というか「アメリカは嫌いだ、けれどもフランスはまだ・・」みたいな感情をわかせましたが、結局石油がねらいであったことは双方同じで、結局欧米の利益独占に非常に有効だった気がするんですよね。
アヘン戦争時代から、なんだか、よってたかって欧米がいろんな画策をして悪魔や天使を演じながら、結局欧米だけが潤っていくんですよねえ。
ヤルタ会談なんか、その集大成みたいな気がします。
>ただ昨年の時点で「我慢にも限度がある」という発言を記者会見場でしていますので、今度は「我慢の限度を超えたらこういうことになる」という事を、具体的示していかなければならないくなって行くのでは無いでしょうか。
これも大変ですよねえ・・。
これは メッセージ 25316 (illustrious_hms さん)への返信です.
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