そいじゃ、石弘之批判
投稿者: thunnus_thynnus_mejimaguro 投稿日時: 2003/09/20 00:14 投稿番号: [2125 / 62227]
以前、論文の取材のため鯨研の図書館を訪問し、反捕鯨の記事をコピーしまくった際、石弘之の反捕鯨論があったので、ここで批判を試みる。
(Yahooでは名前を出したくらいで削除される可能性は低いと思いますが…)
「鯨は国際感覚をはかるリトマス試験紙」(Oiko-2号・1987・10月号)
Q1 捕鯨問題をめぐって、日本と諸外国の対立がここのところ激しくなっています。捕鯨側の主張はたびたび新聞紙上で紹介されていますが、反捕鯨の側の主張は充分伝えられていないように思えます。この対立は、一体どの辺に起因しているのでしょうか。
石 日本というのは、古来から桃太郎の話でもわかるように、他からものを取ってくることを善と見なしてきました。現在のように経済大国といわれるようになっても、「日本は国土も狭く、資源も少ない」だから「外から取ってきてもいいんだ」「日本人のためなんだ」という思い込みがあるように思えます。クジラに関して言えば、狭い国土でたん白質が足りないから捕鯨は必要なんだという論理ばかりが先行しています。今や、都内で一日に出る残飯ばだけで、途上国の50万食分に当たる、バカバカしいほどの「飽食」状態にあるのにですよ。
世界の潮流は、クジラをはじめとした野生動物を人類全体の共有財産と見なし、できるだけ保護しようとする方向に向かっています。本来、先進国と呼ばれる国々がそうした保護運動の先頭に立ってあたりまえなのです。なぜなら、先進国こそが、自然を思うままに収奪し、野生動物をむやみに殺してきたんですからね。そういう意味で言えば、日本も今やクジラを守る立場にいるはずです。ところが、実際は、数の増えているクジラの種類については、獲っていいんじゃないかといっています。
アフリカのケニヤにいた時に、現地の友人から、日本はまだクジラを獲っているのか、野蛮ではないか、と言われたことがありますよ。先進国以外の国々からもこんな見方をされているのです。
→さてさて、この内容にはどんな問題があるか? それを今から見てみましょう。
>クジラに関して言えば、狭い国土でたん白質が足りないから捕鯨は必要なんだという論理ばかりが先行しています。今や、都内で一日に出る残飯ばだけで、途上国の50万食分に当たる、バカバカしいほどの「飽食」状態にあるのにですよ。
→残飯の問題は反捕鯨派が時折、持ち出すことはある。「食べ物がこんなにあるのだから、鯨を獲らなくてもいい」と言いたいのだろうが、それは現在の流通システムの抱える問題で、捕鯨とは何ら関係ない。
(もちろん、食べ物が捨てられるという状況は改められるべきだが)
そもそも、この考え自体、「他に食べるものがなければ鯨を獲るな」という差別的思想が見え見え。利用に耐える資源なら、獲るか獲らないかは各自で決める問題。
>世界の潮流は、クジラをはじめとした野生動物を人類全体の共有財産と見なし、できるだけ保護しようとする方向に向かっています。
→英では狐狩りが、豪ではカンガルーが、米でもスポーツハンティングが行なわれている。そもそも「世界の潮流」などと持ち出す自体、「数が多いんだから、屁理屈こねずに従え」という文化帝国主義的な発想であろう。
>日本も今やクジラを守る立場にいるはずです。ところが、実際は、数の増えているクジラの種類については、獲っていいんじゃないかといっています。
→寝言もいい加減にしろ。ICRWで資源に問題ない捕鯨はきちんと認められている。それに何か問題があるのか?
そもそも、捕鯨が嫌いなら「先進国」こそIWCから脱退したらどうなものかね?
>アフリカのケニヤにいた時に、現地の友人から、日本はまだクジラを獲っているのか、野蛮ではないか、と言われたことがありますよ。先進国以外の国々からもこんな見方をされているのです。
→ここでケニヤを持ち出した意図は、当然ながら同国は野生動物完全保護政策(密猟者は射殺!)により、サファリ観光で外貨を稼いでいる国を故意に一般化し、「途上国」も野生動物は捕獲するなと主張している。だから従えといったミスリードを展開しているのは明白。
そもそも、野生動物を一切利用せず、家畜を飼う方が環境に与える負荷は大きい。
また、アフリカでもタンザニアではCITESで保護された鰐が増加し、漁業にも、人間にも危険なのに間引けず、困っているし、ジンバブエでは象を持続的に利用し、皮や肉を国内で消費しているが、象牙が売れずに困っていることなどは一切触れていない。
さすがに、虚偽の内容を持ち出す度胸まではなかったようだが、捕鯨と関係ない話に無理やり関連させ、野生動物は資源が豊富でも獲ってはいけないという論理には目が点。
(Yahooでは名前を出したくらいで削除される可能性は低いと思いますが…)
「鯨は国際感覚をはかるリトマス試験紙」(Oiko-2号・1987・10月号)
Q1 捕鯨問題をめぐって、日本と諸外国の対立がここのところ激しくなっています。捕鯨側の主張はたびたび新聞紙上で紹介されていますが、反捕鯨の側の主張は充分伝えられていないように思えます。この対立は、一体どの辺に起因しているのでしょうか。
石 日本というのは、古来から桃太郎の話でもわかるように、他からものを取ってくることを善と見なしてきました。現在のように経済大国といわれるようになっても、「日本は国土も狭く、資源も少ない」だから「外から取ってきてもいいんだ」「日本人のためなんだ」という思い込みがあるように思えます。クジラに関して言えば、狭い国土でたん白質が足りないから捕鯨は必要なんだという論理ばかりが先行しています。今や、都内で一日に出る残飯ばだけで、途上国の50万食分に当たる、バカバカしいほどの「飽食」状態にあるのにですよ。
世界の潮流は、クジラをはじめとした野生動物を人類全体の共有財産と見なし、できるだけ保護しようとする方向に向かっています。本来、先進国と呼ばれる国々がそうした保護運動の先頭に立ってあたりまえなのです。なぜなら、先進国こそが、自然を思うままに収奪し、野生動物をむやみに殺してきたんですからね。そういう意味で言えば、日本も今やクジラを守る立場にいるはずです。ところが、実際は、数の増えているクジラの種類については、獲っていいんじゃないかといっています。
アフリカのケニヤにいた時に、現地の友人から、日本はまだクジラを獲っているのか、野蛮ではないか、と言われたことがありますよ。先進国以外の国々からもこんな見方をされているのです。
→さてさて、この内容にはどんな問題があるか? それを今から見てみましょう。
>クジラに関して言えば、狭い国土でたん白質が足りないから捕鯨は必要なんだという論理ばかりが先行しています。今や、都内で一日に出る残飯ばだけで、途上国の50万食分に当たる、バカバカしいほどの「飽食」状態にあるのにですよ。
→残飯の問題は反捕鯨派が時折、持ち出すことはある。「食べ物がこんなにあるのだから、鯨を獲らなくてもいい」と言いたいのだろうが、それは現在の流通システムの抱える問題で、捕鯨とは何ら関係ない。
(もちろん、食べ物が捨てられるという状況は改められるべきだが)
そもそも、この考え自体、「他に食べるものがなければ鯨を獲るな」という差別的思想が見え見え。利用に耐える資源なら、獲るか獲らないかは各自で決める問題。
>世界の潮流は、クジラをはじめとした野生動物を人類全体の共有財産と見なし、できるだけ保護しようとする方向に向かっています。
→英では狐狩りが、豪ではカンガルーが、米でもスポーツハンティングが行なわれている。そもそも「世界の潮流」などと持ち出す自体、「数が多いんだから、屁理屈こねずに従え」という文化帝国主義的な発想であろう。
>日本も今やクジラを守る立場にいるはずです。ところが、実際は、数の増えているクジラの種類については、獲っていいんじゃないかといっています。
→寝言もいい加減にしろ。ICRWで資源に問題ない捕鯨はきちんと認められている。それに何か問題があるのか?
そもそも、捕鯨が嫌いなら「先進国」こそIWCから脱退したらどうなものかね?
>アフリカのケニヤにいた時に、現地の友人から、日本はまだクジラを獲っているのか、野蛮ではないか、と言われたことがありますよ。先進国以外の国々からもこんな見方をされているのです。
→ここでケニヤを持ち出した意図は、当然ながら同国は野生動物完全保護政策(密猟者は射殺!)により、サファリ観光で外貨を稼いでいる国を故意に一般化し、「途上国」も野生動物は捕獲するなと主張している。だから従えといったミスリードを展開しているのは明白。
そもそも、野生動物を一切利用せず、家畜を飼う方が環境に与える負荷は大きい。
また、アフリカでもタンザニアではCITESで保護された鰐が増加し、漁業にも、人間にも危険なのに間引けず、困っているし、ジンバブエでは象を持続的に利用し、皮や肉を国内で消費しているが、象牙が売れずに困っていることなどは一切触れていない。
さすがに、虚偽の内容を持ち出す度胸まではなかったようだが、捕鯨と関係ない話に無理やり関連させ、野生動物は資源が豊富でも獲ってはいけないという論理には目が点。
これは メッセージ 2117 (ts657738 さん)への返信です.
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