鮎川と鯨との関わりは1906年から
投稿者: kujira77777 投稿日時: 2006/06/04 11:06 投稿番号: [11952 / 62227]
http://www.whaling.jp/isana/pdf/isana02j.pdf
によると
●【当町と鯨とのかかわりは、明治39
年 3 月に
東洋漁業株式会社が事業所を鮎川に開設したのに始まる】
のであります。
(ちなみに下関出の東洋漁業株式会社とは今のニッスイの前身)
んで
【金華山沖の鯨資源は早くから伊達藩時代に藩学養賢堂の
学頭大槻清準が文政年間に「鯨志稿」を著して捕鯨の効用を
説いており、江の島沖で四頭の鯨を捕獲したとの記録もあり、
金華山沖五十浬の洋上は俗に「抹香城」といわれ、マッコウ鯨
の群集する漁場とも言われた所である。しかし、昔の貧弱な
装備では自船の安全を保つのがやっとで、捕獲どころでは
なかったようである】
に「捕獲どころではなかったようである」と書いてあるように
たんなる“試し捕り”の域を出ていないというわけなのね。
そしてまた下記を見てもらえばわかるけど
●1906(明治39)の頃には鮎川の漁民で捕鯨をする者がいなかったということ、
●鮎川の漁民ではない下関出の東洋漁業が
その頃進出して捕鯨するようになったということ、
以上この2点は押さえておきたいところだね。
そして
【東洋漁業が進出したころは、
鮎川の漁民は小漁や採貝藻によって生計を支えているものが多く、
鯨の解剖による地先海面の汚染を恐れて反対した】
と書いてあるように
●当初(1906(明治39))は「進出大企業」に対する捕鯨反対運動があったくらいなのね。
信じられないだろ?あの鮎川でさあ。
ま、一種の公害問題だったってわけさ。
これは メッセージ 11940 (nobu_ichi95 さん)への返信です.
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