欧州のシンポジウムの社会における役割
投稿者: chikengodzilla 投稿日時: 2002/09/19 12:29 投稿番号: [430 / 1126]
DAVOSの話を思い出したついでにシンポジウムの役割についての拙考を紹介します。
欧州が地球環境問題に対するトップランナーであるということはほとんどの方が同意されると思いますが、なぜあれほど広汎に市民にそれが徹底されていくのか不思議に思えませんか?
地球環境問題は、問題の大きさが巨大なだけに、どうしてもオピニオンリーダーが存在しないと前に進みません。日常の生活の中で誰もがそれに気付くという類の問題ではないからです。
DAVOSのようなシンポジウムは、欧州各地で沢山あり、それぞれがそれなりに人を集めているようです。
通常、シンポジウムは会期が3日間ぐらいあって、そこで、参加する人間が自分が発表したいと思うことを自由に発表します。
DAVOSぐらいのスケールでは、3つぐらいの大区分をやって、3箇所で平行して進められてましたが、基本的な構造はやはり同じで、主催者がキーノートで指定する講演も含めて、全て一定の金額を払えば、誰でも講演の時間枠を取れます。
そうして連なった講演者が朝から晩まで順番に発表をしていくのですが、もちろん聴衆から質問や反対意見も出る結構厳しい場所です。
ただ、こういう洗礼を受けるからそれなりに説得力のある説明やアイデアが生まれるのだとも思います。
講演する人たちで多いのは、どの大学にも属さない民間の研究者とか、企業関係者とかで、勿論DAVOSのような規模になれば、学会の大物とか政府関係者も出てきますけど、基本的には誰でも構わないというポリシーがあるようです。
結果的に突拍子もない意見やアイデアも出てきますけどだからそれをやる意味があるということもよく分かります。
また、専門の学会での発表さながらの非常に専門的な話のものもあれば、主婦のアイデア的な話もあります。要するに地球環境問題に繋がることであれば、何でも良いというスタイルです。
勿論、これが全てではなく、人集め目的で産・学・官の著名人によるキーノート・スピーチや座談会や討論会もありますが、これはイベントとしての「華」の部分でシンポジウムの中身ではありません。
聴衆の方も、事前に配布されたメニューを見ながら、自分の聴きたい話のところに行くという出入り自由のスタイルです。
こういうシンポの主要なアウトプットは地元の新聞の日曜版みたいな特集などでかなりカバーされているようです。
日本の地方都市の活性化を考えられてる方は、こういうシンポの開催を呼びかけてみるのも、有意義ではないかと思いますがいかがでしょう。
現状日本のシンポの多くは、大新聞と一部の専門家だけの極めて閉鎖性の高いものに見えるので。
これは メッセージ 1 (yu_0305 さん)への返信です.
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