変化してきたIWC3
投稿者: maeenntotyau 投稿日時: 2010/02/10 22:43 投稿番号: [5790 / 15828]
もっとも国際的なベトナム戦争批判をかわすため環境のシンボルとしてクジラを担ぎ出したという見方もできる。人類の将来のため「環境に強い関心を持つ米国」をアピールする作戦だったともいえよう。米国の思惑通り、会議は商業捕鯨十年間禁止勧告を採択したが、しかしIWCはこの勧告を退け商業捕鯨を継続した。このころはまだ正常な判断ができる組織であったわけだ。
だが実は、IWCも底流で変質していたのだった。IWCの規約で重要な議案を採択するには四分の三以上の賛成票が必要とされている。当時のことを知る人は「反捕鯨国はクジラに関心のない国を積極的に加盟させて反対勢力の拡大をはかる戦術に出た」という。゛フリッパー効果″もあって反捕鯨国の多数派工作は着々と進んでいた。もちろんそのリーダーは、環境派の旗手・米国である。
その成果を加盟国の推移で見ると歴然としている。七二年から八二年までの間に二十五カ国も増えている。しかもそのほとんどがクジラとは無縁で捕鯨に反対する側に味方する国である。そしてなぜか反捕鯨の多数派工作と、いわゆる環境保護団体の反捕鯨運動が暴走し始めた時期までが符合する。もちろんそのターゲットは日本である。
一九七八(昭和五十三)年のロンドン総会では会場入りした日本政府代表が、自然保護団体のメンバーに頭から赤インクをかけられる蛮行に遭った。翌年にはロンドンのトラファルガー広場で「日の丸」が焼かれるという重大事件も起きている。オランダ・アムステルダムで開かれた総会では、なぜか退役軍人会まで動員して反日・反捕鯨キャンペーンが展開された。
八二年総会で反捕鯨国はついに本性を表した。「商業捕鯨の一時停止」(モラトリアム)決議を提案し、成立させてしまったのだ。露骨な多数派工作が役立ったことはいうまでもない。とくに直前に加盟した十三カ国の反捕鯨票が採決の決め手になった。
日本は捕鯨条約第五条に定められた手続きに基づいて異議を申し立てると同時に捕鯨の権利留保を宣言した。すると米国は、捕鯨を続けるなら米国二〇〇カイリ内の漁獲を制限するパックウッド・マグナソン法を適用すると通告してきた。一種の脅しである。当時の日本は該当海域内での漁獲高千三百億円。これに対し全クジラ漁は百十億円だった。水産国日本としてはこの現実を無視することができなかった。
八七年にはついにモラトリアムの受け入れを決めて商業捕鯨を中止し、かわって捕鯨条約第八条(科学的研究のためクジラを捕獲し殺し処理する権利を有する)に従って、調査捕鯨の権利を行使する道を選んだ。ただ八二年のモラトリアム決議には「九〇年までに包括的評価を行い、修正や捕獲頭数の設定などについて協議する」という条件がついていた。つまり最長でも九〇年までと期間を切っていたのだ。
ところがである。なんと現在までこの決議は効力をもっているのだ。なぜそうなったのか。場面を再び下関に移そう。
だが実は、IWCも底流で変質していたのだった。IWCの規約で重要な議案を採択するには四分の三以上の賛成票が必要とされている。当時のことを知る人は「反捕鯨国はクジラに関心のない国を積極的に加盟させて反対勢力の拡大をはかる戦術に出た」という。゛フリッパー効果″もあって反捕鯨国の多数派工作は着々と進んでいた。もちろんそのリーダーは、環境派の旗手・米国である。
その成果を加盟国の推移で見ると歴然としている。七二年から八二年までの間に二十五カ国も増えている。しかもそのほとんどがクジラとは無縁で捕鯨に反対する側に味方する国である。そしてなぜか反捕鯨の多数派工作と、いわゆる環境保護団体の反捕鯨運動が暴走し始めた時期までが符合する。もちろんそのターゲットは日本である。
一九七八(昭和五十三)年のロンドン総会では会場入りした日本政府代表が、自然保護団体のメンバーに頭から赤インクをかけられる蛮行に遭った。翌年にはロンドンのトラファルガー広場で「日の丸」が焼かれるという重大事件も起きている。オランダ・アムステルダムで開かれた総会では、なぜか退役軍人会まで動員して反日・反捕鯨キャンペーンが展開された。
八二年総会で反捕鯨国はついに本性を表した。「商業捕鯨の一時停止」(モラトリアム)決議を提案し、成立させてしまったのだ。露骨な多数派工作が役立ったことはいうまでもない。とくに直前に加盟した十三カ国の反捕鯨票が採決の決め手になった。
日本は捕鯨条約第五条に定められた手続きに基づいて異議を申し立てると同時に捕鯨の権利留保を宣言した。すると米国は、捕鯨を続けるなら米国二〇〇カイリ内の漁獲を制限するパックウッド・マグナソン法を適用すると通告してきた。一種の脅しである。当時の日本は該当海域内での漁獲高千三百億円。これに対し全クジラ漁は百十億円だった。水産国日本としてはこの現実を無視することができなかった。
八七年にはついにモラトリアムの受け入れを決めて商業捕鯨を中止し、かわって捕鯨条約第八条(科学的研究のためクジラを捕獲し殺し処理する権利を有する)に従って、調査捕鯨の権利を行使する道を選んだ。ただ八二年のモラトリアム決議には「九〇年までに包括的評価を行い、修正や捕獲頭数の設定などについて協議する」という条件がついていた。つまり最長でも九〇年までと期間を切っていたのだ。
ところがである。なんと現在までこの決議は効力をもっているのだ。なぜそうなったのか。場面を再び下関に移そう。
これは メッセージ 5788 (maeenntotyau さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1143583/ja7dfa4offckdca4ncq_1/5790.html