核と軍―孤立国家の切り札③
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2003/12/14 06:35 投稿番号: [95569 / 232612]
(3)◎賠償期待し対日外交
「わたしが直接やる」
「対日外交は、わたしが直接やる。外務省は手を出すな」
金日成は外務省高官にそう言った。1989年12月ごろと、元北朝鮮外交官で91年に韓国に亡命した高英煥(50)は記憶している。まず日本、そして中国、米国、ロシアの順で関係改善を考えていたようだという。
元米国務省北朝鮮担当官ケネス・キノネス(60)が初めて寧辺核施設を訪れる5年前のことだ。
北朝鮮は、65年の日韓条約を前例として日本から巨額の賠償金を獲得できると踏んだ。しかし核疑惑の浮上で日朝正常化交渉は行き詰まり、査察への国際的な圧力が高まる中、「核」のカードを切ることになる。
「日本と国交を樹立すれば、百億ドルは取れる。食糧やインフラ整備の問題を解決できると、希望の光が差した」と高。
88年のソウル五輪にソ連や中国をはじめ社会主義国の大半が参加し、韓ソが急接近。89年には東ドイツやルーマニアの政権が崩壊するなど、北朝鮮は東欧の友好国や同盟国を次々に失い、孤立を深めていた。
90年9月24日、「政界のドン」自民党の金丸信率いる訪朝団が平壌に到着した。社会党副委員長だった田辺誠(81)や外務省担当者ら総勢53人。翌日、景勝地の妙香山に向かう。
金丸と田辺は26日午前、金日成と会談。訪朝団全員が金日成と昼食を共にし平壌への帰り支度をしていたころ、金丸の下に使者が来た。
「主席がどうしても、金丸先生と2人で話したいと言っています」
「田辺はどうなるんだ」と金丸。
「2人だけです」
金丸の2男で元秘書の信吾(58)は、そんなやりとりがあったのを覚えている。
「田辺も同席させてくれ」と粘る金丸に、使者は「田辺先生はもういらっしゃいません。列車は出ました」と答えた。
その日夕、金丸と信吾、秘書だった生原正久、警護の2人が顔をそろえた招待所の玄関前に、ナンバープレートがないベンツが横付けされた。
「無理なお願いを聞いていただき、ありがとうございます」と金日成。
通訳1人を伴い、金丸との差しの会談に臨んだ。=敬称略
【編注】コ・ヨンファン
(共同)
これは メッセージ 95568 (sofiansky2003 さん)への返信です.
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