続き;この捏造男!事実を知れ!!!
投稿者: ahoahochann12 投稿日時: 2003/11/30 23:04 投稿番号: [94364 / 232612]
しかし、この深刻な不況からの脱出は、実は日本が世界の先進国の中では一番早かった。この年に起きた五・一五事件で政党政治が終わり、海軍の長老斎藤実、岡田啓介両大将が相次いで内閣を組織したが、前後四年蔵相の任に在った高橋是清のリフレーション政策により、翌昭和八年(一九三三)から景気が上向き始め、十一年(一九三六)にはほぼ完全雇用を達成し、世の中がとみに明るくなった。
つい数年前まで稀少な家財だったラジオは、スタイルも音質も見違える程リファインされた大衆商品となり、ほぼ全戸に普及した。皇紀二千六百年に当たる昭和十五年(一九四○)に、欧米地域以外で初めてのオリンピックの東京開催が決まったという報道も、国民の気分をさらに引き立てた。東海道新幹線計画も実はこのころに立てられ、用地手配の段取りに入っていたのである。
この成功は、日満経済圏という自前のブロックの形成が支えとなった一方、円の為替相場の低落を招くなどいろいろ得失はあったのだが、国民生活にいち早く明るさと希望を取りもどしたという点で、政権発足の数年後もさしたる成果が出ず、後年「彼は結局戦争に救われたのだ」とまで酷評された、ルーズベルトのニュー・ディールを、はるかにしのぐものであったことは間違いない。
左翼史家が好んで用いる「十五年戦争」という呼称は、実質十四年に満たぬ数値の不整合はさて措くとしても、この明るさに富んだ時代まで、強引に暗黒の戦争期間に組み入れてしまうのは、当時の生活実感と全く合わない。三権分立の立憲体制はすでに常識となっていたし、教育水準の高い小市民層はとくにリベラルな志向が強かった。中学に進んだ私たちも、自由とか自治という語をふんだんに盛り込んだ上級学校の寮歌やカレッジ・ソングを、何のはばかりもなく高吟していた。
また、「昭和初期には神道が事実上国教として勢威をふるった」と、本気で信じている人が少なくないが、早い話学校行事としての集団神社参拝などは、後年シナ事変が本格戦争の段階に入って、戦勝祈願の形で行われるようになるまでは、ただの一度も目にしたことはない。戦後、私はまだ船で渡航した時代のアメリカに二年近く在住したが、戦争中は毎日曜の教会礼拝の都度戦勝の祈とうをしていたそうで、いずこも同じ戦時風景と受け取るのが、穏当な見方というものだろう。
考えてみると、不況が終わって戦争が始まるまでのこの戦間期に生まれた人は、今はもう七十才近くに達している。この人たちが物心のついたころは戦争が激化して、国内事情は物心ともに窮屈さが増し、とくに末期の二年間は窮乏の度が強かったせいか、戦時生活の悲惨を知る「語り部」として、安直に反戦、平和を言い立てる向きが少なくない。食い物の恨みは末代までといったところであろうか。
これは メッセージ 94348 (seiron_893_seiron さん)への返信です.
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