併合までの推移3
投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/10/29 21:43 投稿番号: [91116 / 232612]
この事件が日本で報道されると、伊藤の軟弱政策の失敗を衝き、一挙合併すべしという世論が燃えあがりました。さすがの伊藤も自分の真意を裏切る行為に激怒し、「日本は韓国に対し宣戦布告する理由がある」とする抗議文を、韓国政府に提出しました。それを受けて七月六日、皇帝を迎えて御前会議が開かれました。これまでの御前会議といえば、客部大臣の報告に止まり、論議しないのが通常でしたが、農商工部大臣宋秉○(そうへいしゅん)は、勇気を振って皇帝に詰め寄りました。(この会議の模様は、田端元氏の前掲原稿、『東亜先覚志士記伝・中』、韓相一『日韓近代史の空間』等に詳しい。)
「伊藤統監は決して韓国を奪おうとしているのではない。伊藤公は日本の国政に参画すること四十年。未開の日本をして強国の列に加えた。彼の欲心といえば、貧弱な我国を扶けて日本のようにしたい名誉心があるだけである。それに対して陛下は日本との善隣を破るために、一億からの金を費された(ハーグヘの密使派遣費を指す)。この巨額の資金は陛下が稼がれたのではなく、人民の血肉であった。…これまで陛下が日本の信義に背かれた事十三回、事実が暴露されれば必ず知らずと言い、罪を重臣に転嫁し、重臣を殺された事、数知れず、人を殺すこと、草を刈るが如きであった。今や新聞事件(英人トマス・ベッセルが発刊する『大韓毎日申報』に日本を誹謗する親翰が掲載)を合せて十五回目の背義に及ぶ。ただ伊藤統監が寛容の心をもって陛下の悔悟を待つ態度をとっているに過ぎない。今回は既に問題が重大化し、日本政府も強硬なる決心をもって臨んでいる。もし統監が陛下に対して罪を問うた時、責任を免れることができるかどうか」
彼はこのように切々として直言しました。すると皇帝は、
「それではどうせよと言うのか」
「およそ二つの方法がある。一つは日本に行幸して親しく天皇陛下にお詫びするか、朝鮮軍司令官長谷川好道大将に罪を謝するか。さもなくば日本との開戦しかない」
それを聞いて皇帝は激怒し、
「お前のような男を重用するのではなかった」と捨台詞(すてぜりふ)を残して奥へ入ってしまいました。その後は何回か閣議を開き、宋は閣僚に対して、
「今度の事件も内閣の責任ではない。すべて陛下の招かれた禍いではないか。退位して謝罪して貰うよりほかない。陛下と国家とどちらが重要か」と迫りました。李完用首相も「この際、韓国のために高宗に譲位して貰うよりほかない。それが王室を守る道である」と考え、その旨を皇帝に上奏しましたが、皇帝は聞き入れません。この御前会議の模様が外部に伝わり、「李内閣は乱臣賊子の団体で、宋秉○(そうへいしゅん)はその巨魁である。彼を斬るべし」という声が起り、首都は騒然となりました。
これは メッセージ 91115 (netuzouhanntai さん)への返信です.
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