小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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併合までの推移2

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/10/29 21:41 投稿番号: [91115 / 232612]
日露戦争の開戦に当って、「日韓議定書」が締結されました。この議定書は、戦争に当って日本の邪魔をしないことを約束したもので、第五条は「本協約の趣旨に違反すべき協約を第三国との間に締結することを得ざる事」となっておりました。にも拘らず高宗は、ロシアに密書を送っております。日本が敗れた場合の保障をとりつけようとしたのでしょうか。その他日本軍の電話を切断したり、鉄道爆破の事件を起したりした背後に、皇帝の意志が働いたとされています。世界のどの軍隊もそうですが、日本軍も戦争遂行のために、これらのゲリラを発見したら厳重に処断しました。韓国・天安市に建てられた「民族独立記念館」に行けば、日本軍によって公開で銃殺されている韓国人たちの写真が大きく掲示されています。この写真だけ見れば、日本軍はヒドイと印象づけられますが、「戦時国際法」によれば、ゲリラの処刑は当然のことだったのです。当時(日露戦争中)日本の沖・横川両軍事探偵は、鉄道爆破が露見して、ハルピンで銃殺されています。

更に高宗は、日本が米英人に干渉できないことを利用して、ハルバート(米)やベッセル(英)にこっそり金を渡して反日新聞を発行させました。戦後の明治三十八年十一月には、ハルバートに密書を持たせてアメリカのセオドア・ルーズベルト大統領に、日本への干渉を依頼しました。大統領は「韓国のために日本とは戦えない」と、にべもなく断りましたが、この玉璽入りの写真版が公開されると、例によって偽造と言って、その事実を否認しました。あの当時韓国には「親米主戦」ともいうべき考えが強く、太平洋の彼方から韓国を助けに来てくれると無邪気にも信じていたのです。

無邪気な例をもう一つ紹介しましょう。高宗は伊藤博文統監には頭があがらず、どうにかして排除したく、僧侶を呼んで伊藤調伏(まじないによって呪い殺すこと)の祈祷をさせ、死期を占ったりしました。また金升皎という儒学者を特別顧問にして出入りさせていましたが、明治三十九年七月、金が憲兵隊に逮捕された時、「聖上曰可斬島夷伊藤博文、長谷川好道」の密勅が見つかりました。島国の夷(えびす)である伊藤統監と長谷川軍司令官を斬れ、という皇帝の秘密命令です。それを知った伊藤は少しも騒がず、皇帝に対して次のように諌言しました。「念仏、祈祷、占いなどは暗愚の君主がすることだ。山村の隠れ儒者である金升皎などは、四書五経を読んで周代(古代シナ)の治教を知っているだけではないか。世界の大勢も知らず、時勢に対応する能力もない。こんなことをするなら、孔子の昔を求めて国政を議した方がよかろう」。

ハーグ密使事件と皇帝の退位

韓国に対して常に理解を示し、皇帝に対しては皇帝として礼を尽していた伊藤統監ですが、青天の霹靂ともいうべき事件が起りました。明治四十年六月、オランダのハーグで開かれた「万国平和会議」に、皇帝が三人の密使を送っていたのです。

そもそも日本と韓国との間には、明治三十八年(1905)十一月に、日韓保護条約が結ばれています。この経緯については、本書201頁で語っているので、それに譲りますが、この条約では韓国の外交は日本が担当することになっていたのです。その条約を認めた各国は外交官を韓国から引揚げていました。しかし皇帝にとって、この条約は心から呑める内容ではありません。韓国にとっては屈辱的条約でした。それに反対して閔泳煥(びんえいかん)ら六人の高官が自決しています。せめてこの際ハーグの国際会議で、日本の圧力によって独立を失った経緯を訴えたかったのです。しかし、韓国の外交権は日本にあることを認めた各国としては、韓国代表に対して会議の参加も発言も認めるわけには行きません。オランダの新聞人中心の国際協会で演説するにとどまりました。そのことが日本にも知れわたると、真意を皇帝に質しました。皇帝は例によって「そのような命令をした覚えはない」と否定するのみです。皇帝の期待にこたえることのできなかった三人の中の一人李儁(りしゅん)は、ハーグで憤死(病死説が事実か?)しました。
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