小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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併合までの推移1

投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/10/29 21:39 投稿番号: [91114 / 232612]
資料7   ハーグ密使事件と皇帝の退位

高宗を知れば李氏朝鮮が滅びくして滅んだことがおぼろげながら理解できる。高宗の側近であった洪鐘宇の談   『こんな国王を戴きながら、韓国が滅びないのは僥倖(幸運)だ』   『韓国も今や末路である。亡びざる国はなく、四千年の旧邦も今は断末魔に近づいている』(青柳綱太郎著「李朝史大全」より)
「日韓共鳴二千年史」名越二荒之助   平成14年   名成社
高宗皇帝の面従腹背

李氏朝鮮の第二十五代哲宗には子供がなく、遠戚に当る李載晃(1852〜1919、後の高宗)が国王に即位した時は、僅か十二歳でした。そのため実父の李○応(大院君)が執政となりました。大院君は強烈な個性の持主で、それに実父であり、高宗はとても頭があがりません。実父の執政は十年間続き、その後は怜悧な才女であった皇后の閔妃によって国政は牛耳られ、国王は飾り物のような有在でした。明治二十八年(1895)、閔妃が暗殺されると、皇帝はわが身の危険を感じてロシア公使館に逃げ込んでしまいました。この事件を「俄館播遷(がかんはせん)」と呼びますが、ほぼ一年間外国の公使館から政務をとるという異常事態が続きました。この異常事態も永くは続きません。国内には民族独立運動が起り、国王も宮廷に帰還しました。そして大韓帝国・皇帝として親政するようになったのです。時に三十三歳。この新帝国は皇帝による直接政治であって国会はなく、閣僚は皇帝の任命制で、いわば専制政治でした。専制政治も、名君に指導されるものなら効果的ですが、高宗のように性格は善良でも、指導力乏しく、宮廷内の取り巻きに振り回されるようでは混迷は深まるばかりです。自分で決めたことでも、不利になればすぐ部下がやったことと逃げる有様で、次第に内外から信頼を失ってゆきました。彼は日本の信頼をどんなに失っていったか。田端元氏が「好太王から朝鮮滅亡後まで(九)(小日本社)の中で、多くの実例を紹介しておられます。その中から二、三紹介してみましょう。
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