嘘つきへの反証事実!!
投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/10/12 22:18 投稿番号: [89901 / 232612]
1886年、大院君はその抑留地(中国)から帰国し、日本人官憲たちと友好同盟を結んだ。かつては国王を後見したこともある大院君も、今ではすでにその栄誉の大部分を剥奪され、その寵愛する甥の投獄を防ぎうるだけの権勢さえも、今はもうもっていなかった。しかし、彼はまだ、数多くの秘密の手下たちに対して、その忠実な奉公を要求することが出来たから、これらの人々を通じて、徐々に活動を開始した。
(1894年
東学党の乱(甲午農民戦争)が起こり日本は朝鮮に出兵、続いて日清戦争となる)
日本軍は朝鮮の首都ソウル支配の配備をとった。7月23日日本軍の一隊はひそかに王宮に向かって進み、はしごを使って塀をのりこえ、王宮護衛兵とわずかな戦闘を交えたのち、王宮を占拠した。日本は大院君を呼び寄せた。大院君は、このような動きの中で日本に協力し、再び政権の座についた。しかし、彼は、日本側のとった措置に驚いて、自分の新しい権力を行使しないまま、数日後にその職務を放棄した。日本軍護衛兵が王宮から撤退した頃、閔妃一族の政権からの放逐が行なわれたのである。ほんの数ヶ月前までは、この王国の重要ポストのすべてを掌握していたのであるが、それが公職から一掃されて、国家の新しい諸部署の中にはただの一人も居ない、というほどになってしまった。
(日本が日清戦争に勝利するも獲得した領土を三国干渉で放棄させられる)
新しい勢力が、朝鮮の面前にしだいに強力に立ち現れてきはじめた。帝政ロシアが東方への道をとりはじめたのである。シベリア横断鉄道が太平洋岸に向かって敷設を急いでいたし、ソウルではロシアの手先たちが無遠慮にその進出政策を押し進めていた。大院君の一時的な勝利は長く続かなかった。王妃が再び前面に立ち現れてきたのである。王妃は次々と自分の一族の者たちを引き立てて官職に復帰させた。王妃は、時には日本とともに、また時には日本に敵対して、密謀を重ね、それによって週ごとにその勢力を増していった。そしてその年の夏までには、年老いた大院君はまったく退けられてしまった。次に王妃は、(開化派の)朴泳孝の打倒を進めた。彼は、自分を大臣の職から罷免するという命令に接したとき、身の危険を察して日本公使館に保護を求め、日本の汽船に搭乗して脱出し、かろうじて逮捕を免れたのである。彼は、『王妃は抜け目のない、野心に満ちた女性である。彼女にはただ一つの目的がある。それは閔氏一族に権勢を掌握させることである。閔氏が統治を掌握する限り朝鮮には何らの変化をも生ずることはないであろう。今日の我が国民は、まったく王妃のものであって、その思いのままに取り仕切ることが出来る。国民の生命や財産でさえも王家に所属しているのである』と、語ったという。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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