朝鮮の権力闘争1
投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/10/12 22:15 投稿番号: [89899 / 232612]
閔妃と大院君の権力闘争史は、そのまま李氏朝鮮亡国への歴史でもある。植民地化の危機に際して、適切な対応策を取ることもなく党派争いを繰り広げ、お互いに外国勢力の力を借りて敵対勢力を弾圧した。閔妃は大院君に何度も命を狙われていたのである。
ニューヨーク・タイムズ 1908年4月5日号 (「外国新聞に見る日本4」 1993年 毎日コミュニケーションズ)
(アメリカにおける朝鮮についての最高権威であるジョージ・トランブル・ラッド博士の記事)
故王妃暗殺の下手人は日本兵だという説については、三浦将軍(公使)が暗殺計画に荷担し、一部の日本人壮士たちが韓国兵を援助したことは、どうも事実のようだ。しかしこの王妃は、頭はよかったが朝鮮の玉座にとってすら恥となるほど最も残酷な人物の一人で、何年も国王の父、大院君と政争を続けており、この間両派閥の殺し合いはまるで毎年の挨拶交換のように行われてきたものだ。
「朝鮮の悲劇」 F.A.マッケンジー 1908年 (渡辺学訳 1973年 平凡社東洋文庫)
(著者のマッケンジーはロンドンのデーリー・メール紙の朝鮮特派員で朝鮮に対し同情的であった。 *注 閔妃と大院君に関する個所の抜粋です)
大院君は、摂政としてその子である国王高宗が未成年である間、政権を掌握していた。彼は、その統治の初期、貴族勢力に対抗して王権を確立するため、強硬な路線をとった。徹底した鎖国主義で、かの最悪のキリスト教大迫害も、彼の治世下で行なわれた。国王が成年に達したとき(1873年)、大院君は、これまでと同じように、事実上の統治者としてとどまろうとはかった。彼は当初、「大老」の称号を与えられて、玉座の影からその勢力を維持していた。しかしそれも、国内に新しい勢力が台頭してきたため、長く続かなかった。懦弱であった国王は、閔家の息女と結婚したが、王世子(世継ぎの王子)が生まれてからは、王妃(閔妃)の権勢は日々に大きくなっていった。この王妃もまた、大院君その人と同じように、彼女なりに果断な性格の持ち主であったから、やがて二人の間に極めて激しい争いが起こった。王妃の兄閔升鎬が領議政(総理大臣にあたる)になって。大院君の職権を次々と剥奪していった。しかし、大院君とてそうたやすく追い出されるわけもなかった。彼は、数多くの扇動的なたくらみに着手した。ある日、王妃の寝室の一隅が爆破されたが、それは、大院君の部下がそこに爆薬を仕掛けたからだ、と人々によって噂された。またある日、領議政の閔升鎬は、王宮からと思われるひとつの箱を受け取った。彼の家族たちがその内容を見ようと周囲に集まった。ところがその箱の蓋を開けたとたん、それは爆発した。それは偽装爆弾であった。そしてこの爆発によって領議政およびその母と子が死亡した。その箱は大院君から来たものであった。
ニューヨーク・タイムズ 1908年4月5日号 (「外国新聞に見る日本4」 1993年 毎日コミュニケーションズ)
(アメリカにおける朝鮮についての最高権威であるジョージ・トランブル・ラッド博士の記事)
故王妃暗殺の下手人は日本兵だという説については、三浦将軍(公使)が暗殺計画に荷担し、一部の日本人壮士たちが韓国兵を援助したことは、どうも事実のようだ。しかしこの王妃は、頭はよかったが朝鮮の玉座にとってすら恥となるほど最も残酷な人物の一人で、何年も国王の父、大院君と政争を続けており、この間両派閥の殺し合いはまるで毎年の挨拶交換のように行われてきたものだ。
「朝鮮の悲劇」 F.A.マッケンジー 1908年 (渡辺学訳 1973年 平凡社東洋文庫)
(著者のマッケンジーはロンドンのデーリー・メール紙の朝鮮特派員で朝鮮に対し同情的であった。 *注 閔妃と大院君に関する個所の抜粋です)
大院君は、摂政としてその子である国王高宗が未成年である間、政権を掌握していた。彼は、その統治の初期、貴族勢力に対抗して王権を確立するため、強硬な路線をとった。徹底した鎖国主義で、かの最悪のキリスト教大迫害も、彼の治世下で行なわれた。国王が成年に達したとき(1873年)、大院君は、これまでと同じように、事実上の統治者としてとどまろうとはかった。彼は当初、「大老」の称号を与えられて、玉座の影からその勢力を維持していた。しかしそれも、国内に新しい勢力が台頭してきたため、長く続かなかった。懦弱であった国王は、閔家の息女と結婚したが、王世子(世継ぎの王子)が生まれてからは、王妃(閔妃)の権勢は日々に大きくなっていった。この王妃もまた、大院君その人と同じように、彼女なりに果断な性格の持ち主であったから、やがて二人の間に極めて激しい争いが起こった。王妃の兄閔升鎬が領議政(総理大臣にあたる)になって。大院君の職権を次々と剥奪していった。しかし、大院君とてそうたやすく追い出されるわけもなかった。彼は、数多くの扇動的なたくらみに着手した。ある日、王妃の寝室の一隅が爆破されたが、それは、大院君の部下がそこに爆薬を仕掛けたからだ、と人々によって噂された。またある日、領議政の閔升鎬は、王宮からと思われるひとつの箱を受け取った。彼の家族たちがその内容を見ようと周囲に集まった。ところがその箱の蓋を開けたとたん、それは爆発した。それは偽装爆弾であった。そしてこの爆発によって領議政およびその母と子が死亡した。その箱は大院君から来たものであった。
これは メッセージ 89898 (netuzouhanntaii さん)への返信です.