>>お前のこの発言は捏造だ5
投稿者: netuzouhanntai 投稿日時: 2003/10/05 17:40 投稿番号: [89309 / 232612]
Q
『世界』とか「朝日新聞」とかの日本の強力なマスコミをバックにして
いるとしか見えない鄭敬謨の存在にKCIAが驚愕し鄭敬謨つぶしの工作に
とりかかったとしてもおかしくないですね。
鄭 朝日新聞の輸入を止めてみたら、逆に困ったのは朴政権だったらしく、
禁輸措置をすぐ解除されたのですが、それと同時に単に鄭敬謨の動きを封じ
込めるにとどまらず、日本のマスコミ全体を自分の方になびかせるという方
向に政策そのものを変えたように思われるのです。かなり大仕掛けの工作が
あの直後から始まったのは、今から振り返ってみるとはっきりしています
ね。この工作にはその一環として鄭敬謨に対する人格的中傷をもって、例え
ば安江氏(注・岩波書店前社長の安江良介氏、98年1月死去)のような日
本の知識人との仲を裂くと同時に、安江氏自身を含めて安江氏周辺の著名人
たちを自分の方に取り込むということが重要な項目として含まれていたと思
うのです。
Q もしそのような工作をはっきりと気づいていられたとすれば、それにか
かわった工作員がいたと思うのですが、具体的にどのような人物であったの
か、差支えなければ言っていただけませんか。
鄭 …こういった広範な工作を背後で操っていたのが、朴正煕の飲み友達で
あり、その交遊関係にあやかってか当時の言論弾圧を一手に引き受けて異常
なまでの権力を振るっていた鮮于莩(朝鮮日報主筆)であったこと、日本に
おける「反国家団体」の動きを綿密に内査しない、これを「首魁」金大中氏
に結びつける工作を担当していた一人が鮮于莩の直系の子分であり、おそら
くその功績のためでありましょうが、一介の新聞記者(朝鮮日報東京特派
員)から一足跳びに、駐日公使、統一院長官に垂直急上昇をとげることにな
る許文道であったこと。もう一人は本国の独裁政権からの迫害を逃れて亡命
したという触れこみで日本にやってきてから約20年間、安江氏を始め安江
氏の周辺にいる日本の著名な知識人を取りこむ工作に専念した人物が、鮮于
莩とは同郷(平安北道定州)の出身であり、鮮于莩が生前「わが刎頸(ふん
けい)の友」なりと称して親密さを誇りにしてやまなかった池明観(注・翰
林大学校翰林科学院日本学研究所所長)であったこと、そして許文道並びに
池明観は、ひそかに接触を保ちながら連携プレイを演じていたことぐらいは
この時点で明らかにしておいてもよいでしょう。
鄭 …池明観氏の「刎頸の友」鮮于莩氏が死んだときのことは、この間の安
江氏の葬儀との関連で一言書いておかざるをえません。鮮于莩氏が突然息を
引きとったあと、月刊「朝鮮」(86・4号)は韓国人の友人としてはただ
1人の代表として池明観氏の哀切極まりない弔辞を掲載しました(もう1人
は日本の友人を代表した吉岡忍氏)。
この間の青山斎場における安江氏の葬儀のときも、池明観氏は故人の韓国
人友人を代表して嗚咽を抑えながら感動的な弔辞をのべたのですが、そのこ
とが私にはよく分からないのです。金大中氏を憎悪し殺意を抱いていた鮮于
莩が死んだとき流した彼の涙と、安江氏にとってはまさに刎頸の友であり、
そして2人の長い間の共闘の末、やっとのこと大統領に選ばれた金大中氏を
代弁する形で、なぜもう少し長生きをしてくれなかったのかと安江氏に語り
かけながら流した彼の涙と、どっちがほんとうの涙だったのか。2つのうち
1つはウソの涙なんです。
いるとしか見えない鄭敬謨の存在にKCIAが驚愕し鄭敬謨つぶしの工作に
とりかかったとしてもおかしくないですね。
鄭 朝日新聞の輸入を止めてみたら、逆に困ったのは朴政権だったらしく、
禁輸措置をすぐ解除されたのですが、それと同時に単に鄭敬謨の動きを封じ
込めるにとどまらず、日本のマスコミ全体を自分の方になびかせるという方
向に政策そのものを変えたように思われるのです。かなり大仕掛けの工作が
あの直後から始まったのは、今から振り返ってみるとはっきりしています
ね。この工作にはその一環として鄭敬謨に対する人格的中傷をもって、例え
ば安江氏(注・岩波書店前社長の安江良介氏、98年1月死去)のような日
本の知識人との仲を裂くと同時に、安江氏自身を含めて安江氏周辺の著名人
たちを自分の方に取り込むということが重要な項目として含まれていたと思
うのです。
Q もしそのような工作をはっきりと気づいていられたとすれば、それにか
かわった工作員がいたと思うのですが、具体的にどのような人物であったの
か、差支えなければ言っていただけませんか。
鄭 …こういった広範な工作を背後で操っていたのが、朴正煕の飲み友達で
あり、その交遊関係にあやかってか当時の言論弾圧を一手に引き受けて異常
なまでの権力を振るっていた鮮于莩(朝鮮日報主筆)であったこと、日本に
おける「反国家団体」の動きを綿密に内査しない、これを「首魁」金大中氏
に結びつける工作を担当していた一人が鮮于莩の直系の子分であり、おそら
くその功績のためでありましょうが、一介の新聞記者(朝鮮日報東京特派
員)から一足跳びに、駐日公使、統一院長官に垂直急上昇をとげることにな
る許文道であったこと。もう一人は本国の独裁政権からの迫害を逃れて亡命
したという触れこみで日本にやってきてから約20年間、安江氏を始め安江
氏の周辺にいる日本の著名な知識人を取りこむ工作に専念した人物が、鮮于
莩とは同郷(平安北道定州)の出身であり、鮮于莩が生前「わが刎頸(ふん
けい)の友」なりと称して親密さを誇りにしてやまなかった池明観(注・翰
林大学校翰林科学院日本学研究所所長)であったこと、そして許文道並びに
池明観は、ひそかに接触を保ちながら連携プレイを演じていたことぐらいは
この時点で明らかにしておいてもよいでしょう。
鄭 …池明観氏の「刎頸の友」鮮于莩氏が死んだときのことは、この間の安
江氏の葬儀との関連で一言書いておかざるをえません。鮮于莩氏が突然息を
引きとったあと、月刊「朝鮮」(86・4号)は韓国人の友人としてはただ
1人の代表として池明観氏の哀切極まりない弔辞を掲載しました(もう1人
は日本の友人を代表した吉岡忍氏)。
この間の青山斎場における安江氏の葬儀のときも、池明観氏は故人の韓国
人友人を代表して嗚咽を抑えながら感動的な弔辞をのべたのですが、そのこ
とが私にはよく分からないのです。金大中氏を憎悪し殺意を抱いていた鮮于
莩が死んだとき流した彼の涙と、安江氏にとってはまさに刎頸の友であり、
そして2人の長い間の共闘の末、やっとのこと大統領に選ばれた金大中氏を
代弁する形で、なぜもう少し長生きをしてくれなかったのかと安江氏に語り
かけながら流した彼の涙と、どっちがほんとうの涙だったのか。2つのうち
1つはウソの涙なんです。
これは メッセージ 89302 (yayoijin_matsuei さん)への返信です.