続4 司馬遼太郎の祖国防衛思想
投稿者: kocohadokowatasihadare 投稿日時: 2003/09/08 21:35 投稿番号: [85789 / 232612]
話を、司馬遼太郎にもどす。このように日露戦争を見ていくと、いかに司馬の日露戦争観が誤っているかに気付く。
しかしながら不幸なことに、勝ってからの日本そのものが帝国主義的な国に変わっていきました。戦争というものは負けても悲惨ですが、勝ってもその国を時に変質させることになるちう、最も悪いほうの例に日本はなってしまいました。
とあるように、司馬は繰り返し、「戦勝後、帝国主義の仲間入りをすることで日本は破滅に向かった」と言っているが、明らかに間違いである。日本が帝国主義の仲間入りを果たし、太平洋戦争の敗戦まで、司馬の言葉どおりの「暗い昭和」であるとしても、「明るい明治」とは言えない。日本が帝国主義となったのは、日露開戦からであり、戦勝後では決してないからである。そうなると、司馬が言う「日露戦争は祖国防衛戦争である」という意見ももちろん正しくない。そうなると、司馬史観の特徴である「明るい明治」と「暗い昭和」という対比的な考えも当然正確な史観ではなくなる。鈴木良が、
明治を楽天的な時代と見るのは、氏の大前提にある。根拠はみんなそう考えていたからだというのである。ある時代が明るかったか、暗かったか――それはそのひとの見方による。しかし、明るいといわれ暗いといわれる、その両側面を統一してとらえるのが歴史観というものであろう。対立、矛盾にみちた歴史をとらえるには、その時代の人がどう考えたかということを前提にしてはならない。そうでないと、思い込みと歴史の見方は区別がつかなくなってしまう。
と言っているのに加え、中村政則は、
大正・昭和は明治を母胎として形づくられたものであって、明治と昭和のあいだにそれほど大きな非連続や断絶を置くことはあまりに単純であるし、この間における国際関係の重大な変化を見落とす危険さえある。あるいは、次のように言いかえてもよい。歴史とは連立方程式ないし三次方程式になっているのであって、それぞれの時代には明るい側面もあれば、暗い側面もあるし、明治の明るさが昭和の暗さに転じることもあれば、その逆のケースもありうる。たんに「明るい明治」、「暗い昭和」といった文学的かつ二項対立的な把握でとらえられるほど日本の近現代史は単純ではないのである。
と意見している。このように、司馬の二項対立的な考え方は問題にすべきなのである。
これは メッセージ 85788 (kocohadokowatasihadare さん)への返信です.
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