小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

続 続 司馬遼太郎の祖国防衛思想

投稿者: kocohadokowatasihadare 投稿日時: 2003/09/08 21:31 投稿番号: [85788 / 232612]
では、なぜ終結したか。これは、日露戦争を作りあげたイギリスがこれ以上の戦争継続を望まなくなったからである。極東における軍事力バランスが日本に傾くのをふせぐためであった。
  軍事思想の面では、日本陸軍は迅速に機動する小銃・砲兵火力によって歩兵の白兵(銃剣)突撃に頼ることなく勝敗を決しようとする「ドイツ式火力主義」をとっていた。一方ロシアは堅固な築城(陣地・要塞)によって敵火力をかわし、機をみて火力の支援によって相手に接近し、歩兵の白兵突撃によっていっきょに勝敗を決しようとする「フランス式白兵主義」をとっていた。日露戦争での日本の勝利――「ドイツ式火力主義」の勝利によって、欧米は「銃機関銃こそ陣地防御の要」であると学び、それを契機に砲兵は戦場の主役となった。一方、海戦において欧米が学んだものは「砲撃か、衝撃か」の論争の決着であった。日露戦争までは、列国海軍のなかでは衝撃(船首喫水線下の衝角による体当たり)が有効か、大砲による砲撃が有効かで論争があったのである。日露戦争のなかでも日本海海戦では、一万トンを超す鋼鉄製の主力艦といえども砲戦によって撃沈しうることを証明し、この論争に決着をつけた。艦艇の大型化、高速化、巨砲搭載こそが戦勝の決め手であるとする「大鑑巨砲主義」により、ワシントン会議(一九二一)まで続く大建艦競争時代が幕を開けた。

日露戦争は以降の世界的な戦争に多大な影響を与えた戦争であった。しかしながら、日本は日露戦争をへることによって、火力主義から白兵主義へと退行する。火力主義の強化を学んだ欧米とはまったく正反対である選択を、日本はした。
  その理由として、第一に砲弾・小銃弾の欠乏により火力主義が貫徹できなかったことが挙げられる。日本軍は開戦当初の見積もりによる半年分の砲弾を二日間で消費するなど、絶対的な砲弾不足のなか日露戦争の陸戦を戦い抜いた。第二には、砲兵運用の根本的な誤りを挙げることが出来る。日本陸軍は、要塞攻撃に効果がない榴散弾を多用したため、歩兵に膨大な犠牲を強いることとなり、戦中・戦後における砲兵に対する不信感は絶対的なものとなった。

  結果的に日露戦争は、世界最大にして最強と目されたロシア軍に勝つことで、日本に好影響を与えたと思いきや、戦略・戦術面での数々の失敗を帳消しにし、さらに何の反省も生み出すことはなかった。さらに言えば、この「戦勝」も、日本が優勢な時期に終結しただけであって、長引けば日本の敗戦は必至であり、完全な勝利ではなかった。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)