小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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続 司馬遼太郎の祖国防衛論 

投稿者: kocohadokowatasihadare 投稿日時: 2003/09/08 21:27 投稿番号: [85786 / 232612]
ここで、日露戦争とは世界史的にどんな戦争であったかを考えてみたい。
  明治三五(一九〇二)年に結ばれた日英同盟により、日本がイギリスの世界戦略に組み込まれた結果、起こった戦争である。イギリスは英露対決構造のなかで、ロシアとのヨーロッパでの戦争を回避することが望ましく、そのため日本を極東でロシアに対抗させ、ロシアの軍事力を引きつけ、消耗させようとしたのである。
  日露戦争は満州・朝鮮の支配をめぐって戦われた日本とロシアの戦争である。当時の日露戦争直前の国際関係の風刺画「火中の栗」(図参照)を見ると、おもしろいようにわかりやすく表されている。画面左側でロシア人が栗を焼いており、右側にイギリス人とアメリカ人。そして、そのイギリス人が真ん中の小さな日本人の肩に手を置いている。日本人はそれを受け、抜刀の構えでロシア人が焼いている栗を取りに行こうとしているものである。このロシア人が焼いている「栗」は韓国、すなわち満州を表している。日本人の身体の大きさも、当時をよく表していて面白い。何しろイギリス人やロシア人の半分の大きさなのである。この風刺画を見るだけで、いかに日本が小さな国であったかがわかる。その強大なイギリス国におだてられ、日本は満州・朝鮮をめぐりロシアと対抗したのである。
  ではそのロシアに日本は何故勝ち得たのか。それは、日英同盟による、イギリスのバックアップに加え、ロシアの内部事情があったからである。一九〇五年当時のロシアでは各地で労働者のストライキなどの革命運動が次々と起こり、戦争をどうするかよりも、革命運動を抑えることの方が重大な問題となっていた。内政・経済ともにロシアは戦争を継続するための条件を失ってしまったが、元々、満州・朝鮮支配については、極東ということもあり、執着度は低かった。そのため日露継戦の意志もさほど強いものでもなかったのである。
  戦況はというと、陸戦は苦戦の連続であった。海を渡っての補給線しかない日本軍は、銃砲弾の欠乏に苦しめられた。結果、陸戦ではロシア軍を後退させたのが精一杯で、撃破することは出来なかった。一方海戦は、大陸への補給を賭けた戦いであった。日本海海戦に敗ければ、大陸への補給は完全に途絶え、陸戦の敗北をも招いてしまう。海戦の敗北は日本軍全体の敗戦にも繋がったであろう。逆にロシアはこの海戦に敗北しても補給を断たれるわけではなかった。日本海海戦はそういった意味でも日本の戦争継続のための条件を確保しただけであって、ロシアの戦争継続能力を粉砕したものではない。
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