重村智計のこと1
投稿者: sofiansky2003 投稿日時: 2003/08/05 21:21 投稿番号: [81466 / 232612]
1−2ヶ月前に重村智計のことがちょっとこのトピでも拉致家族会との関係で問題になりまたした。
そんなこともあり、ここのところ重村智計の著書を重点的に読んで見ました。
別に私は彼の言っていることを無条件に受け入れる重村信者でもないですが、過去の北朝鮮あるいは韓国を含めた諸々のことを理解し、これらの日本との関係、さらにはこれからのことを考える場合の参考にしたかったからです。
韓国・北朝鮮のいわゆる専門家はそれほどいるものではないと思いますが、他の方々のそれほど読んでいません。その点、彼は比較的著書を多く出していますし、内容はアカデミックでないし、また特定のイデオロギーの視点から説いているわけでもないと思います。
彼の経歴(彼の著書における経歴から)
1945年 中国遼寧省丹東に生まれる
1969年 早稲田大学法学部卒業
シェル石油入社
1971年 毎日新聞入社
79〜85年 ソウル特派員
89〜94年 ワシントン特派員
毎日新聞論説委員
(毎日新聞社時代に高麗大学、米スタンフォード大留学)
2000年 拓殖大学国際開発学部教授
この経歴をみると分るが、石油関係の専門家でもある。例えば「150万トンの原油の輸入があっても、軍事用に使えるディーゼル油とかジェット燃料などの軽質油は30%しかとれないとしている。」(軍事専門家は150万トンの石油が皆軍事用に使えると思い込んでしまう)
ただし、やはり農業とか核兵器となるとちょっと精彩を欠く。やはりそちらの専門家ではないからでしょう。
また朝鮮語はペラペラである。
トピックス:
彼がソウル特派員の時は、朴大統領暗殺(79年10月)の時で全斗換が」大統領になり光州事件が起きた時であるが、当時は日本では韓国=独裁下の暗黒時代とみられ、北朝鮮の方が政治・経済で進んでいるとみられていた。そういうなかで、韓国のこと・北朝鮮に対する批判的記事を本社に送ったが、かなり潰されたという。
そのうちに彼は韓国の“KCIA”と言われるようになったとのこと。
「94年にワシントン特派員を終えて帰国するまで、私は左の勢力からは『最大の知韓派』と非難され、そのいっぽうで朝鮮総連からもっとも嫌われた新聞記者であった」
(「朝鮮病と韓国病」から)
私が思うに彼の考え方は、新聞記者らしく特定の考え方にはとらわれていなくて、事実で勝負するということではないだろうか。
反対に、彼は岩波書店・和田春樹東大教授等を常に批判している。
和田春樹について「韓国の民主化弾圧と人権問題を口を極めて批判し、運動を展開したが、北朝鮮の民主化と人権問題にはまったく黙したままであった。」(同)
日本における北朝鮮の理解の変化。
「韓国と北朝鮮のどちらの存在が、より「正統」であるかをめぐる論争と対立が、日本では1950年の朝鮮戦争以来続いてきた。やや学問的な表現を許していただくなら、「理念学派」と「現実学派」との対立であった。そして、当初は少数派であった「現実学派」が「理念学派」に完全勝利した。朝鮮問題ほど、勇気と信念、学問的心理への追求心に欠けた学者や研究者の無責任な論文、記事が横行した分野はなかった。1987年の大韓航空爆破事件と88年のソウル五輪までは、韓国よりも北朝鮮に対する評価がなお強かった。この背景にあったのは、日本のマスコミや知識人社会に根強く残る「社会主義幻想」であった。また、日本社会党(のちに社民党へ)と朝鮮総連の役割が大きかった。」(「北朝鮮データブック」から)
そんなこともあり、ここのところ重村智計の著書を重点的に読んで見ました。
別に私は彼の言っていることを無条件に受け入れる重村信者でもないですが、過去の北朝鮮あるいは韓国を含めた諸々のことを理解し、これらの日本との関係、さらにはこれからのことを考える場合の参考にしたかったからです。
韓国・北朝鮮のいわゆる専門家はそれほどいるものではないと思いますが、他の方々のそれほど読んでいません。その点、彼は比較的著書を多く出していますし、内容はアカデミックでないし、また特定のイデオロギーの視点から説いているわけでもないと思います。
彼の経歴(彼の著書における経歴から)
1945年 中国遼寧省丹東に生まれる
1969年 早稲田大学法学部卒業
シェル石油入社
1971年 毎日新聞入社
79〜85年 ソウル特派員
89〜94年 ワシントン特派員
毎日新聞論説委員
(毎日新聞社時代に高麗大学、米スタンフォード大留学)
2000年 拓殖大学国際開発学部教授
この経歴をみると分るが、石油関係の専門家でもある。例えば「150万トンの原油の輸入があっても、軍事用に使えるディーゼル油とかジェット燃料などの軽質油は30%しかとれないとしている。」(軍事専門家は150万トンの石油が皆軍事用に使えると思い込んでしまう)
ただし、やはり農業とか核兵器となるとちょっと精彩を欠く。やはりそちらの専門家ではないからでしょう。
また朝鮮語はペラペラである。
トピックス:
彼がソウル特派員の時は、朴大統領暗殺(79年10月)の時で全斗換が」大統領になり光州事件が起きた時であるが、当時は日本では韓国=独裁下の暗黒時代とみられ、北朝鮮の方が政治・経済で進んでいるとみられていた。そういうなかで、韓国のこと・北朝鮮に対する批判的記事を本社に送ったが、かなり潰されたという。
そのうちに彼は韓国の“KCIA”と言われるようになったとのこと。
「94年にワシントン特派員を終えて帰国するまで、私は左の勢力からは『最大の知韓派』と非難され、そのいっぽうで朝鮮総連からもっとも嫌われた新聞記者であった」
(「朝鮮病と韓国病」から)
私が思うに彼の考え方は、新聞記者らしく特定の考え方にはとらわれていなくて、事実で勝負するということではないだろうか。
反対に、彼は岩波書店・和田春樹東大教授等を常に批判している。
和田春樹について「韓国の民主化弾圧と人権問題を口を極めて批判し、運動を展開したが、北朝鮮の民主化と人権問題にはまったく黙したままであった。」(同)
日本における北朝鮮の理解の変化。
「韓国と北朝鮮のどちらの存在が、より「正統」であるかをめぐる論争と対立が、日本では1950年の朝鮮戦争以来続いてきた。やや学問的な表現を許していただくなら、「理念学派」と「現実学派」との対立であった。そして、当初は少数派であった「現実学派」が「理念学派」に完全勝利した。朝鮮問題ほど、勇気と信念、学問的心理への追求心に欠けた学者や研究者の無責任な論文、記事が横行した分野はなかった。1987年の大韓航空爆破事件と88年のソウル五輪までは、韓国よりも北朝鮮に対する評価がなお強かった。この背景にあったのは、日本のマスコミや知識人社会に根強く残る「社会主義幻想」であった。また、日本社会党(のちに社民党へ)と朝鮮総連の役割が大きかった。」(「北朝鮮データブック」から)
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.