小泉首相の訪朝と課題について☆☆☆☆☆

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金総書記の料理人証言2

投稿者: remember140917 投稿日時: 2003/06/20 22:15 投稿番号: [75027 / 232612]
2003/06/20   (産経新聞朝刊)
日本人料理番が見た金正日総書記   一存で人命を左右…恐怖目前で「やつを撃ったか」中枢幹部は贅を満喫 ( 6/20)
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  「平素は温厚だが、金属製のナプキンケースを投げつけたりするところも目撃した」「一存で人の命が左右されるのだと知り、恐怖を覚えた」。北朝鮮の金正日総書記の専属料理人だった藤本健二氏(五六)はインタビューで、金総書記の素顔を語った。国家中枢の人々が贅(ぜい)を尽くした衣食住を満喫する一方で、飢える一般国民。“元側近”の証言から、北朝鮮の矛盾に満ちた体制の実態があらためて浮かび上がった。(加藤達也) ≪報酬月額50万円≫

  −−北朝鮮で働くことに不安はなかったか

  「国交もなく詳しい国情もわからず、二度と日本に帰ってこられないのではという不安もあった。だが、昭和五十七年当時、一介のすし職人にとって月額五十万円の報酬は魅力的だった」

  −−金正日総書記のお抱え料理人となったきっかけは

  「渡朝二カ月後の八二(昭和五十七)年十月、突然、元山(北朝鮮東南岸)の招待所で催された軍大将の結婚記念日の祝宴に出向き、出張サービスを命じられ、客の中に金正日将軍がいた。それが初対面で、その年の暮れまでに将軍から十二回、お呼びがかかり、見込まれたのだ、と思うようになった。八八年五月、将軍から『私のそばにいてほしい』と言われた」

  −−北朝鮮で一般の日本人であるあなたはどのように処遇されたのか

  「金将軍の専属となった後は特に、非常に厚く処遇された。北朝鮮国内の空港などでもVIP待遇で手荷物検査もノーチェックとなったほか、党や政府の一定の地位の者にしか与えられない2−16(金総書記の誕生日を示す)で始まるナンバーのベンツを与えられた」

  −−金総書記はどのような性格の人物だと思うか

  「平素は、えらぶることもなく、笑顔を絶やさない温厚で多趣味な人物。私自身、その人柄に引かれ、握手を求めたことがあったが、両手で私の手を強く握り返してきた。特に、趣味を共有できる人間に対しては胸襟を開いた付き合いを求めてくる」

  −−感情をあらわにする場面もあったと思うが

  「国家運営に関すること、特に情報の未報告や間違いなどがあった場合には、国家の最高幹部クラスでも即座に、電話などで烈火のごとく怒鳴りつけるところをたびたび目撃した。私がすしを握った会食の席でのことだが、側近中の側近といわれる妹婿の張成沢中央委員会第一副部長と意見の食い違いがあったらしく、卓上の紙ナプキンのステンレスケースを突然、彼に向けて投げつけたこともあった。私の目の前で、軍の高官に『やつを撃ったか』などと下問(かもん)することもあった。金将軍の一存で人の命が左右されるのだと知り、恐怖を覚えた」 ≪監視・密告社会≫

  −−日本への帰国は自由だったか

  「当初取り交わした契約に従って、年に何度かは認められた。そのほかにもすしねたの仕入れのために、訪日を命じられることもあった。日本に帰国した際には(北朝鮮の対日工作を取り締まる)警視庁外事二課のマークにあったが、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)からも厳しい監視下に置かれた」

  −−なぜ、北朝鮮を脱出したのか

  「最大の理由は何の政治思想ももたない私が、あの国にいることに無理を感じたことだった。革命やチュチェ思想についていくら本をよんでも共感、理解することができなかった。さらに、あの国を知れば知るほど、徹底した監視、密告社会であることが分かり、息苦しさを覚えた。私自身、九八(平成十)年、仕入れ旅行先の中国から、日本で世話になった警視庁の外事捜査官にかけた電話がすべて傍受されていて、北朝鮮に戻ったらスパイ容疑がかけられ、恐怖を感じた」
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