米国型 Globalism 1
投稿者: east_jungle3 投稿日時: 2003/05/05 07:45 投稿番号: [66573 / 232612]
現世界を米国文明対Muslim文明の対立と捉えるならば、それは米国型Globalismと、Muslim型Globalismのせめぎ合いのようなことが根底にあるのだと思います
Globalismというのは今、始まったことではなく、歴史は繰り返しているわけで、ITなどの技術によって地球が小さくなった意味のGlobalismと、そうじゃない場合におけるGlobalismというのは色々な意味合いで違いが在ると思いますが、地球を一つのSystemの下に創造する、そういう動きというのは実は世界の成り立ちの時からあるのだと思います。
最初のGlobalismは何であったかというとそれはMuslimです。
Muslimは共同体ということを考えていますから、Muslimを信ずるものであれば民族や肌の色は関係ない。
元来Muslim世界というのはKoranに書かれているように、完全な商業資本主義Globalismです。
それは商業資本主義的な経済的文明であり、かつShariaというMuslimの法典を守れば、肌の色が何であれ、生まれがどこであれ、Muslimという体系で一つの世界が出来あがるという姿のGlobalismです。
現在の米国も同じく資本主義市場原理を背景としたGlobalism原理主義です。
ある歴史家が言っているのですがMuslim、というのはあまり、ある民族、ある地域の歴史の蓄積の上に国をつくるといった発想をしていません。
Muslimという一種の普遍原理を信用すればそれは一つの共同体ですと考えますから。実は米国もそうです。
米国というのは移民がつくった国で、歴史を全部拒否し、憲法、自由、平等といった理念を建国の建前としています。
米国人とは何ですかと定義したときには民族性は関係なのです。
米国の憲法を認めて、米国の原理を守るものが米国であると。
これはある意味でMuslimと一緒です。
日本文明、中華文明や、印度のHindu文明、Europe文明と同じく、個性的な地域に非常に古くから生まれた文明の上に現代の文明を創造されたもので、米国やMuslimとは異なると思います。
ところが、日本人&ある国はいつのまにか米国型のGlobalismを当然の前提としての世界観を持ち始めている様に思えます。
Asia国には米国型経済System に合わないAsiaの伝統的な社会関係とか歴史とか経済の仕組みというのがあります。
米国流のGlobalismの考え方もある意味では否定はしませんが、その思考のみでAsia経済をまとめてはいけないと思います。
経済が成長しはじめると、投資熱が巻き起こり諸外国は大量にお金を貸しはじめますが、危機に直面すると、お金を貸したほうの責任を棚上げして、Cronyのようなアジアの社会Systemが悪いと、Asia経済を狭義の面で捉え、自虐に陥れる。
その背景の基本的問題は、世界経済の成り立ちを見る日本各国の見方があまりにも、Americanizeされ過ぎているからではないでせうか。
Globalismな要素は不可欠なんですが、それと各国が持っている歴史&伝統に支えられた経済のSystemの在り方があって、それを外部から単純に遅れているとか、Cronyだから悪で、それをつぶすと大きな混乱が起こるでせう。
そこで世界で違うSystemが共存していくような条件をつくることが必要かと思います。
そういう国を受け入れる心、知的な余裕のようなものが必要とされると思います。
Globalismというのは今、始まったことではなく、歴史は繰り返しているわけで、ITなどの技術によって地球が小さくなった意味のGlobalismと、そうじゃない場合におけるGlobalismというのは色々な意味合いで違いが在ると思いますが、地球を一つのSystemの下に創造する、そういう動きというのは実は世界の成り立ちの時からあるのだと思います。
最初のGlobalismは何であったかというとそれはMuslimです。
Muslimは共同体ということを考えていますから、Muslimを信ずるものであれば民族や肌の色は関係ない。
元来Muslim世界というのはKoranに書かれているように、完全な商業資本主義Globalismです。
それは商業資本主義的な経済的文明であり、かつShariaというMuslimの法典を守れば、肌の色が何であれ、生まれがどこであれ、Muslimという体系で一つの世界が出来あがるという姿のGlobalismです。
現在の米国も同じく資本主義市場原理を背景としたGlobalism原理主義です。
ある歴史家が言っているのですがMuslim、というのはあまり、ある民族、ある地域の歴史の蓄積の上に国をつくるといった発想をしていません。
Muslimという一種の普遍原理を信用すればそれは一つの共同体ですと考えますから。実は米国もそうです。
米国というのは移民がつくった国で、歴史を全部拒否し、憲法、自由、平等といった理念を建国の建前としています。
米国人とは何ですかと定義したときには民族性は関係なのです。
米国の憲法を認めて、米国の原理を守るものが米国であると。
これはある意味でMuslimと一緒です。
日本文明、中華文明や、印度のHindu文明、Europe文明と同じく、個性的な地域に非常に古くから生まれた文明の上に現代の文明を創造されたもので、米国やMuslimとは異なると思います。
ところが、日本人&ある国はいつのまにか米国型のGlobalismを当然の前提としての世界観を持ち始めている様に思えます。
Asia国には米国型経済System に合わないAsiaの伝統的な社会関係とか歴史とか経済の仕組みというのがあります。
米国流のGlobalismの考え方もある意味では否定はしませんが、その思考のみでAsia経済をまとめてはいけないと思います。
経済が成長しはじめると、投資熱が巻き起こり諸外国は大量にお金を貸しはじめますが、危機に直面すると、お金を貸したほうの責任を棚上げして、Cronyのようなアジアの社会Systemが悪いと、Asia経済を狭義の面で捉え、自虐に陥れる。
その背景の基本的問題は、世界経済の成り立ちを見る日本各国の見方があまりにも、Americanizeされ過ぎているからではないでせうか。
Globalismな要素は不可欠なんですが、それと各国が持っている歴史&伝統に支えられた経済のSystemの在り方があって、それを外部から単純に遅れているとか、Cronyだから悪で、それをつぶすと大きな混乱が起こるでせう。
そこで世界で違うSystemが共存していくような条件をつくることが必要かと思います。
そういう国を受け入れる心、知的な余裕のようなものが必要とされると思います。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.