日本の敗戦の状況、ドイツの状況2
投稿者: ahoahoahocha6 投稿日時: 2003/04/13 10:31 投稿番号: [62551 / 232612]
■4.何を守ろうとしたのか?■
さて日本政府がぎりぎりの条件として提示した「天皇の国家統治
の大権」という条項で、日本政府は具体的には何を守ろうとしたの
か?
東京裁判で裁かれた東条英機は、次のような証言を行っている。
国政に関する事柄は、必ず右手続で成立した内閣、及び統帥
部の輔弼輔翼によって行われるのであります。これらの助言に
よらずして、陛下が独自の考えで国政または統帥に関する行動
を遊ばされることはありませぬ。この点は旧憲法にもその明文
があります。・・・
それ故に一九四一年(昭和十六年)十二月一日開戦の決定の責任
も、また内閣閣員及び統帥部の者の責任でありまして、絶対的
に陛下の御責任ではありません。[2,p337]
開戦の決定は、自分たち内閣の責任だと言う。東条は自らの生命
を抛って、天皇を戦犯として起訴することの非を訴えたのである。
占領軍司令官マッカーサーも、東条と同様に、天皇を守ろうとす
る国民の無言の気迫を感じていたのであろう。「天皇を戦犯にするよ
うなことがあれば20個師団100万の軍隊と数十万の民政要員が
必要だ」と述べている。[2,p338]
■5.身はいかならむとも■
一方、昭和天皇はどのように、この困難な時期に対処されたのか。
マッカーサーは、昭和20年9月27日の昭和天皇との最初の会談
を次のように語っている。
どんな態度で、陛下が私に会われるかと好奇心をもって御出
会いしました。しかるに実に驚きました。陛下は、まず戦争責
任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。
これには実にびっくりさせられました。
すなわち「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、
また事件にも全責任をとります。また私は、日本の名において
なされた、すべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対
しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の
判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題でない。
構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負いま
す」
これが陛下のお言葉でした。私は、これを聞いて、興奮の余
り、陛下にキスしようとした位です。もし国の罪をあがのうこ
とが出来れば進んで絞首台に上ることを申出るという、この日
本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、そ
の後ますます高まるばかりでした。
陛下は御自身に対して、いまだかつて恩恵を私に要請した事
はありませんでした。とともに決して、その尊厳を傷つけた行
為に出たこともありませんでした。[3]
昭和天皇のお言葉は、終戦時の次のお歌と照応している。
爆撃にたふれゆく民のうへをおもひいくさとめけり身はいかな
らむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民を思ひ
て
■6.驕らず屈せず■
戦争は避けられるなら避けた方が良い。またひとたび、開戦とな
ったら、負けない方が良い。しかし負けたらお終いで、勝者がすべ
て正しく、敗者がすべて悪かったとという事ではない。敗戦に処し
て、昭和天皇も、東条英機も、そして多くの国民も、自らの生命を
投げ出しても、守ろうとした「なにもの」かがあった。
その姿勢において示される敗者の尊厳によって、勝者の尊敬を受
けることもある。一国を国際社会の中で、存在感あるものにするの
は、こうした自尊自立の精神である。決して国の大きさや経済力、
武力、戦争の勝ち負けといった物理的な要因だけではない。
これを敷衍すれば、戦後の日本経済の奇跡的な成功に勝者として
驕ってはならず、また第二の敗戦とも呼ばれる現在の経済危機にお
いても、敗者として卑屈になる必要はない。勝者はその勝利によっ
てどのような価値を追求するのか、また敗者は敗戦に処して、本当
に守るべき価値は何なのか、を問うべきである。
敗戦当時に、昭和天皇と国民が示された「敗者の威厳」は、今後
の日本の取るべき道を考える上でも、重要な指針を示唆している。
[参考]
1. 「忘れたことと忘れさせられたこと」、江藤淳、文春文庫、H8
2. 「敗者の戦後」、入江隆則、徳間文庫、H10
3. 読売新聞、S30.9.14朝刊、「新編宮中見聞録」、木下道雄、
日本教文社、H10
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さて日本政府がぎりぎりの条件として提示した「天皇の国家統治
の大権」という条項で、日本政府は具体的には何を守ろうとしたの
か?
東京裁判で裁かれた東条英機は、次のような証言を行っている。
国政に関する事柄は、必ず右手続で成立した内閣、及び統帥
部の輔弼輔翼によって行われるのであります。これらの助言に
よらずして、陛下が独自の考えで国政または統帥に関する行動
を遊ばされることはありませぬ。この点は旧憲法にもその明文
があります。・・・
それ故に一九四一年(昭和十六年)十二月一日開戦の決定の責任
も、また内閣閣員及び統帥部の者の責任でありまして、絶対的
に陛下の御責任ではありません。[2,p337]
開戦の決定は、自分たち内閣の責任だと言う。東条は自らの生命
を抛って、天皇を戦犯として起訴することの非を訴えたのである。
占領軍司令官マッカーサーも、東条と同様に、天皇を守ろうとす
る国民の無言の気迫を感じていたのであろう。「天皇を戦犯にするよ
うなことがあれば20個師団100万の軍隊と数十万の民政要員が
必要だ」と述べている。[2,p338]
■5.身はいかならむとも■
一方、昭和天皇はどのように、この困難な時期に対処されたのか。
マッカーサーは、昭和20年9月27日の昭和天皇との最初の会談
を次のように語っている。
どんな態度で、陛下が私に会われるかと好奇心をもって御出
会いしました。しかるに実に驚きました。陛下は、まず戦争責
任の問題を自ら持ち出され、つぎのようにおっしゃいました。
これには実にびっくりさせられました。
すなわち「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、
また事件にも全責任をとります。また私は、日本の名において
なされた、すべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対
しても直接に責任を負います。自分自身の運命について貴下の
判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題でない。
構わずに総ての事を進めていただきたい。私は全責任を負いま
す」
これが陛下のお言葉でした。私は、これを聞いて、興奮の余
り、陛下にキスしようとした位です。もし国の罪をあがのうこ
とが出来れば進んで絞首台に上ることを申出るという、この日
本の元首に対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、そ
の後ますます高まるばかりでした。
陛下は御自身に対して、いまだかつて恩恵を私に要請した事
はありませんでした。とともに決して、その尊厳を傷つけた行
為に出たこともありませんでした。[3]
昭和天皇のお言葉は、終戦時の次のお歌と照応している。
爆撃にたふれゆく民のうへをおもひいくさとめけり身はいかな
らむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民を思ひ
て
■6.驕らず屈せず■
戦争は避けられるなら避けた方が良い。またひとたび、開戦とな
ったら、負けない方が良い。しかし負けたらお終いで、勝者がすべ
て正しく、敗者がすべて悪かったとという事ではない。敗戦に処し
て、昭和天皇も、東条英機も、そして多くの国民も、自らの生命を
投げ出しても、守ろうとした「なにもの」かがあった。
その姿勢において示される敗者の尊厳によって、勝者の尊敬を受
けることもある。一国を国際社会の中で、存在感あるものにするの
は、こうした自尊自立の精神である。決して国の大きさや経済力、
武力、戦争の勝ち負けといった物理的な要因だけではない。
これを敷衍すれば、戦後の日本経済の奇跡的な成功に勝者として
驕ってはならず、また第二の敗戦とも呼ばれる現在の経済危機にお
いても、敗者として卑屈になる必要はない。勝者はその勝利によっ
てどのような価値を追求するのか、また敗者は敗戦に処して、本当
に守るべき価値は何なのか、を問うべきである。
敗戦当時に、昭和天皇と国民が示された「敗者の威厳」は、今後
の日本の取るべき道を考える上でも、重要な指針を示唆している。
[参考]
1. 「忘れたことと忘れさせられたこと」、江藤淳、文春文庫、H8
2. 「敗者の戦後」、入江隆則、徳間文庫、H10
3. 読売新聞、S30.9.14朝刊、「新編宮中見聞録」、木下道雄、
日本教文社、H10
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