日本の敗戦の状況、ドイツの状況
投稿者: ahoahoahocha6 投稿日時: 2003/04/13 10:26 投稿番号: [62546 / 232612]
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog034.html
1.海外を驚かせた敗戦直後の日本■
「日本破れたりとはいへ、その国民性は決して軽視すること
ができぬ。例へば日本国民の皇室に対する忠誠、敗戦後におけ
る威武不屈、秩序整然たる態度はわが国の範とするに足る」
(中華民国国民政府・王世杰外交部長)[1,p54]
滞京二週間の印象としてまづあげられることは日本国民がこ
の僅か二週間の間にも最初の衝撃から段々に醒めて雄々しくも
着々復興の準備にとりかゝりつゝあるといふことである。日本
に着くまでは「浪人」や右翼の連中が相当うるさいことだらう
と想像してゐたが実際来て見て全国民が余りにも冷静なのに驚
いた。(AP通信社東京支配人ラッセル・ブラインズ氏)[1,p41]
敗戦直後の日本は、世界にこのような驚きを与えていた。国家存
亡の危機に発揮されたこの「国民性」とはどのようなものであった
か、同じ敗戦国ドイツと比較しつつ、史実をたどってみたい。
■2.ドイツの敗戦■
「ドイツ国民がいつかもう強くもなく、自らの生存のために
血を流すほど献身的でもなくなれば、滅びてもっと強い国に抹
殺されるがよい」
この恐ろしい言葉が彼(ヒットラー)の本心だったのはドイ
ツの敗戦が近づくにつれて明らかとなり、彼は断固として降伏
を拒否して傷ついたドイツ陸軍を勝ち目のない戦いにかり立て
た。[2,p326]
降伏するためには、ヒットラーを暗殺する以外になかったが、ラ
イプチヒ市長だったゴードラー、および、ロンメル将軍によるそれ
ぞれの暗殺計画はいずれも成功しなかった。
1945年5月には、ドイツの全領土は連合軍に蹂躙されていた。ヒ
ットラーは自殺し、政府要人はすべて自殺、逃亡、あるいは、捕虜
となり、まったくの無政府状態に陥った。
わずかにデーニッツ提督がヒットラー総統の後継者として、降伏
条件に署名したが、これは軍に関する降伏だけで、国家としての降
伏ではなかった。しかも提督は降伏直後、捕えられて、以後、後継
者と称するものはいなかった。
戦後のニュールンベルグ裁判では、ゲーリング、ローゼンベルグ、
リッペントロップ、ヘス、カイテル、カルテンプルンナーら、指導
者達は、「総統の催眠術にかけられていた」などと、ヒトラーにす
べての罪をかぶせようとした。後にイスラエルの法廷で裁かれたア
イヒマンも「総統の命令に従っただけ」と述べている。
■3.日本の敗戦■
当時日本本土には陸軍二百二十五万三千、海軍百二十五万、
計三百五十万余の兵力が依然として温存されていた。また陸海
軍を合せて一万六十機の保有航空機のうち、少くとも六千機以
上は特攻作戦に使用可能と考えられていた。・・・
海軍こそ戦闘可能の戦艦は皆無で、空母二隻、巡洋艦三隻、
駆逐艦三十隻、潜水艦五十隻という劣勢に追い詰められていた
が、この温存兵力の無言の圧力は無視することができない。[1,p16]
ドイツは交渉の余力もなく壊滅したが、連合国はこの「無言の圧
力」を考慮して、ポツダム宣言において条件を示して降伏勧告を
行い、日本政府はさらに、「天皇の国家統治の大権を変更するの要
求を包含し居らざることの了解の下に」という条件付きで受諾する
事を宣言した。これを受け取ったアメリカ側では敗戦国とは思えぬ
堂々たる対応と迫力に打たれたという。[2,p334]
今日ドイツが有する唯一の「政府」は聯合国にこれを仰ぐほ
かなく、ドイツ人みづから政府を構成する許可が与へられるま
ではこの状態が続くであらう、しかし日本は全体としては今後
も占領されることになつてをらず(編者注:占領は一部の地点
のみで、全土ではない)、これはドイツと比較して真に大きな
差異である。日本には政府喪失といふ事態がないばかりか、強
大且つ活溌な政府を有してゐる。聯合国はこの政府に対して命
令を発することは出来ても、聯合国みづから日本を支配するこ
とはないであらう。(NBC放送、R.G.スウィング氏)
[1,p20]
1.海外を驚かせた敗戦直後の日本■
「日本破れたりとはいへ、その国民性は決して軽視すること
ができぬ。例へば日本国民の皇室に対する忠誠、敗戦後におけ
る威武不屈、秩序整然たる態度はわが国の範とするに足る」
(中華民国国民政府・王世杰外交部長)[1,p54]
滞京二週間の印象としてまづあげられることは日本国民がこ
の僅か二週間の間にも最初の衝撃から段々に醒めて雄々しくも
着々復興の準備にとりかゝりつゝあるといふことである。日本
に着くまでは「浪人」や右翼の連中が相当うるさいことだらう
と想像してゐたが実際来て見て全国民が余りにも冷静なのに驚
いた。(AP通信社東京支配人ラッセル・ブラインズ氏)[1,p41]
敗戦直後の日本は、世界にこのような驚きを与えていた。国家存
亡の危機に発揮されたこの「国民性」とはどのようなものであった
か、同じ敗戦国ドイツと比較しつつ、史実をたどってみたい。
■2.ドイツの敗戦■
「ドイツ国民がいつかもう強くもなく、自らの生存のために
血を流すほど献身的でもなくなれば、滅びてもっと強い国に抹
殺されるがよい」
この恐ろしい言葉が彼(ヒットラー)の本心だったのはドイ
ツの敗戦が近づくにつれて明らかとなり、彼は断固として降伏
を拒否して傷ついたドイツ陸軍を勝ち目のない戦いにかり立て
た。[2,p326]
降伏するためには、ヒットラーを暗殺する以外になかったが、ラ
イプチヒ市長だったゴードラー、および、ロンメル将軍によるそれ
ぞれの暗殺計画はいずれも成功しなかった。
1945年5月には、ドイツの全領土は連合軍に蹂躙されていた。ヒ
ットラーは自殺し、政府要人はすべて自殺、逃亡、あるいは、捕虜
となり、まったくの無政府状態に陥った。
わずかにデーニッツ提督がヒットラー総統の後継者として、降伏
条件に署名したが、これは軍に関する降伏だけで、国家としての降
伏ではなかった。しかも提督は降伏直後、捕えられて、以後、後継
者と称するものはいなかった。
戦後のニュールンベルグ裁判では、ゲーリング、ローゼンベルグ、
リッペントロップ、ヘス、カイテル、カルテンプルンナーら、指導
者達は、「総統の催眠術にかけられていた」などと、ヒトラーにす
べての罪をかぶせようとした。後にイスラエルの法廷で裁かれたア
イヒマンも「総統の命令に従っただけ」と述べている。
■3.日本の敗戦■
当時日本本土には陸軍二百二十五万三千、海軍百二十五万、
計三百五十万余の兵力が依然として温存されていた。また陸海
軍を合せて一万六十機の保有航空機のうち、少くとも六千機以
上は特攻作戦に使用可能と考えられていた。・・・
海軍こそ戦闘可能の戦艦は皆無で、空母二隻、巡洋艦三隻、
駆逐艦三十隻、潜水艦五十隻という劣勢に追い詰められていた
が、この温存兵力の無言の圧力は無視することができない。[1,p16]
ドイツは交渉の余力もなく壊滅したが、連合国はこの「無言の圧
力」を考慮して、ポツダム宣言において条件を示して降伏勧告を
行い、日本政府はさらに、「天皇の国家統治の大権を変更するの要
求を包含し居らざることの了解の下に」という条件付きで受諾する
事を宣言した。これを受け取ったアメリカ側では敗戦国とは思えぬ
堂々たる対応と迫力に打たれたという。[2,p334]
今日ドイツが有する唯一の「政府」は聯合国にこれを仰ぐほ
かなく、ドイツ人みづから政府を構成する許可が与へられるま
ではこの状態が続くであらう、しかし日本は全体としては今後
も占領されることになつてをらず(編者注:占領は一部の地点
のみで、全土ではない)、これはドイツと比較して真に大きな
差異である。日本には政府喪失といふ事態がないばかりか、強
大且つ活溌な政府を有してゐる。聯合国はこの政府に対して命
令を発することは出来ても、聯合国みづから日本を支配するこ
とはないであらう。(NBC放送、R.G.スウィング氏)
[1,p20]
これは メッセージ 62544 (moriya99 さん)への返信です.