現在の核武装議論(4)
投稿者: eeeeeee452 投稿日時: 2003/02/18 23:08 投稿番号: [50987 / 232612]
13基地で核扱い可能
50年代在日米軍基地で
【ワシントン12日共同】米核監視団体、天然資源保護協会は12日、米軍は冷戦時代に三沢、板付、厚木、岩国、小牧、入間などの米軍基地にプルトニウムなど核物質部分を取り外した核爆弾を配備、佐世保や横須賀には核搭載艦が常時出入りしていたことが、米文書で確認されたと明らかにした。
同協会のロバート・ノリス氏によると、核兵器の一部が配備されたり、核兵器配備を想定していた在日米軍施設は計13あったという。「1956―57年米極東司令部核兵器作戦手続き」で明らかになった。
核物質を除いた核爆弾を日本に前方配備し、有事の際に沖縄などから核物質を緊急輸送し、完全な核爆弾にする態勢を米軍が50年代に取っていたことは、同氏らの研究や元米兵の証言で既に知られている。
同氏によると、米国防総省や統合参謀本部は日本本土に完全な核爆弾を配備する許可を最後まで得られず、特に米国務省は核配備が日本国民に漏れた場合に、反米・反日本政府感情が高揚し、親米の自民党政権が崩壊するのを嫌ったという。(共同通信 1999/12/13)
父島、硫黄島にも核兵器 返還後も有事再配備の密約
【ワシントン12日共同=杉田弘毅】1968年に日本に返還された小笠原諸島の父島と硫黄島に、米国が50年代から返還直前まで対ソ連・中国戦を想定し核兵器を配備、返還後も有事の際の再配備を認める日米両政府間の密約があったことが、公開された米政府の機密文書などで12日明らかになった。
米核監視団体の天然資源保護協会が発表した。小笠原諸島の核配備や返還後の密約が明らかになったのは初めて。同協会は、再配備に関する密約は後の沖縄返還の際の核持ち込み・通過の密約の先例になったとみている。
同協会のロバート・ノリス氏らは10月、沖縄に1200個の核が配備されていたなど冷戦時代の米核配備状況を発表したが、この時特定できなかった2地点がその後両島だと分かった。
米統合参謀本部文書(57年6月)は、56年2月に父島に核爆弾配備が始まったと記録。海洋発射核ミサイルのレグルス、タロスと合わせ3種類の核兵器が65年12月まで配備されていたことが確認された。
硫黄島には、プルトニウム部分を外した核爆弾を56年2月から返還の2年前まで配備。56年9月―59年12月の間は、同部分
も含む完全な核爆弾も置かれた。両島とも配備数は不明。
同氏らは、両島が核ミサイルを発射した潜水艦がミサイルを再装てんする基地と位置づけられており、日本などの基地が破壊された後も、米軍が目立たない両島からの核攻撃継続を想定していたとしている。
小笠原返還に伴う有事の核再配備の密約は、米軍の強い意向を受けジョンソン政権が佐藤政権と交渉、秘密合意に達し、後の日本政権も従う方向で協議が進んだことが、国務省文書で確認された。
返還直前の68年4月10日に「小笠原諸島核貯蔵の合意」を交わしたことも記録されており、この合意自体は公開されていないが、同氏らは米軍による核再持ち込みの権利を認めた文書と断定した。(共同通信 1999/12/13)
【ワシントン12日共同】米核監視団体、天然資源保護協会は12日、米軍は冷戦時代に三沢、板付、厚木、岩国、小牧、入間などの米軍基地にプルトニウムなど核物質部分を取り外した核爆弾を配備、佐世保や横須賀には核搭載艦が常時出入りしていたことが、米文書で確認されたと明らかにした。
同協会のロバート・ノリス氏によると、核兵器の一部が配備されたり、核兵器配備を想定していた在日米軍施設は計13あったという。「1956―57年米極東司令部核兵器作戦手続き」で明らかになった。
核物質を除いた核爆弾を日本に前方配備し、有事の際に沖縄などから核物質を緊急輸送し、完全な核爆弾にする態勢を米軍が50年代に取っていたことは、同氏らの研究や元米兵の証言で既に知られている。
同氏によると、米国防総省や統合参謀本部は日本本土に完全な核爆弾を配備する許可を最後まで得られず、特に米国務省は核配備が日本国民に漏れた場合に、反米・反日本政府感情が高揚し、親米の自民党政権が崩壊するのを嫌ったという。(共同通信 1999/12/13)
父島、硫黄島にも核兵器 返還後も有事再配備の密約
【ワシントン12日共同=杉田弘毅】1968年に日本に返還された小笠原諸島の父島と硫黄島に、米国が50年代から返還直前まで対ソ連・中国戦を想定し核兵器を配備、返還後も有事の際の再配備を認める日米両政府間の密約があったことが、公開された米政府の機密文書などで12日明らかになった。
米核監視団体の天然資源保護協会が発表した。小笠原諸島の核配備や返還後の密約が明らかになったのは初めて。同協会は、再配備に関する密約は後の沖縄返還の際の核持ち込み・通過の密約の先例になったとみている。
同協会のロバート・ノリス氏らは10月、沖縄に1200個の核が配備されていたなど冷戦時代の米核配備状況を発表したが、この時特定できなかった2地点がその後両島だと分かった。
米統合参謀本部文書(57年6月)は、56年2月に父島に核爆弾配備が始まったと記録。海洋発射核ミサイルのレグルス、タロスと合わせ3種類の核兵器が65年12月まで配備されていたことが確認された。
硫黄島には、プルトニウム部分を外した核爆弾を56年2月から返還の2年前まで配備。56年9月―59年12月の間は、同部分
も含む完全な核爆弾も置かれた。両島とも配備数は不明。
同氏らは、両島が核ミサイルを発射した潜水艦がミサイルを再装てんする基地と位置づけられており、日本などの基地が破壊された後も、米軍が目立たない両島からの核攻撃継続を想定していたとしている。
小笠原返還に伴う有事の核再配備の密約は、米軍の強い意向を受けジョンソン政権が佐藤政権と交渉、秘密合意に達し、後の日本政権も従う方向で協議が進んだことが、国務省文書で確認された。
返還直前の68年4月10日に「小笠原諸島核貯蔵の合意」を交わしたことも記録されており、この合意自体は公開されていないが、同氏らは米軍による核再持ち込みの権利を認めた文書と断定した。(共同通信 1999/12/13)
これは メッセージ 50985 (eeeeeee452 さん)への返信です.