ナショナリズムのひとつの解釈方法
投稿者: c185472 投稿日時: 2003/01/01 22:34 投稿番号: [37232 / 232612]
ナショナリズムの概念を定義するのは難しい。いろいろな解釈方法があるからだ。
アイデンティティーの立場からナショナリズムを説明しようとすれば、どうなるであろうか。
アイデンティティー
(ID)
とは個人や集団が他人や他の集団と異なってもっている主体性や独自性のことだ。
一般的に日本人には主体性が無いと言いわれているが、それは日本政府という団体が強力なIDを国民に押し付けているからだ。
個人と国は主体性
(ID)
から見れば対の極にある。個人の主体性が強い国では国の主体性は弱い。逆に国の主体性が強い社会では個人の主体性が弱い。
かつてのソ連や、今の北朝鮮・中国は国のIDが強い国であり、国家体制は全体主義や独裁制である。
集団のIDは威圧と権力に起因している。集団のIDは、個人を閉じこめておくため、そして、個人がIDを主張することを妨げるために作られいる。
個人が堂々と主体性を発揮できる国は民主主義体制国家であり、欧米がそうだ。日本はどうなるのであろうか。
日本には民主主義機構はあるが実際は民主主義的でない。平和憲法によって民主主義を与えられたが、日本人は自己主張をしない。日本人にはIDが無い。
たとえばこのトピの昨年の投稿内容を見てみると、「北朝鮮がけしからん」
というものがほとんどであった。北朝鮮がけしからんのはあたりまえで、それ以上の飛躍が無い。IDを主張していない。まるで
街宣車がスピーカーのボリュームをいっぱいに上げ
「天皇陛下万歳!」
を連呼しているかのようであった。集団のID形成に必死であった。ナショナリズムの形成に懸命となっていた。
その結果かどうかは知らないが、政府は日米安保協議で北朝鮮に対する武力行使の選択を決議し、北朝鮮は核開発を再開した。
集団のIDは過去にそうであったように、戦争へと導くためのイデオロギー形成に結びつく。個人が個人のIDをもっと主張すれば、日朝戦争は避けられると思う。外交の基本は善意で隣国に接することであるが、個人がもっとこのことを主張しなければならない。そうすることで戦争という不幸な結末を避けて通れる。
なぜ日本は過去に戦争を行なったのか、これを正確に答えられる日本人はとても少ない。日本が過去に戦争に突入して行ったのは、個人が個人のIDを放棄し、国のIDにすがりついてしまったからだ。国はナショナリズムを持ち上げるために天皇を利用し、天皇のために戦うIDを作り上げてしまった。国民はそれに従った。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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