本からの引用 (つづき)
投稿者: b185472 投稿日時: 2002/12/24 21:26 投稿番号: [34727 / 232612]
16世紀のヨーロッパ人が記録したことは、「まったくの作り事」
ではなかった。
古くからの習わしで日本の女性はたしかに歯を黒く染めた。
今日の日本人もあきらめがいいほうだ。
また、日本の錠前といえば、これに悩まされた最初の外来者たちが繰り返し述べたように、いまだに、西洋とは反対に、キーを右側にではなく左へまわして開ける。
しかし、こうした観項がいささか滑稽に聞こえるのはなぜだろうか。
どうして神秘的な小人が住むといった長く幅をきかせる観念を生んでしまったのだろうか。
初期の旅行者は日本があまりに遠く離れていたために、視座 (パースペクテイヴ) というものを見失っていた ・・・・・ つまりは、もののつながりがみえなかったのだろう。
その結果として、日本人は自分たちの歴史 ・・・・・ その 「大小の相違」 を解くべき過去というもの ・・・・・ を認めてもらえなかったのだ。
オリエンタリズムは帝国から発展した。
その特色のひとつは観察される側にたいする観察者の立場にあった。
観察する側がかならず優位にあった。
エドワード・サイードが著書 『オリエンタリズム』 のなかで強調するように、知的慣行は権力と物質的恩恵にもとづく関係を反映していた。
かくして、オリエンタリズムは19世紀に大帝国を築いた英国とフランスで全盛期をむかえた。
日本は正式には一度もどこかの帝国に領有されたことはなかったが、帝国領とかかわりのあるオリエンタリズムから、まず免れようがなかった。
日本の対欧関係は同じ物質的利害にもとづいており、ヨーロッパ側に同じ身勝手な優越意識があることを特徴としていた。
今日、われわれは、インド、インドネシア、台湾、あるいは日本からきた人を、東洋人 (オリエンタル) ではなくアジア人 (エイシアン) と呼ぶ。
この呼び方は、人間の複雑性と多様性、それに平等性を認めようとするせめてもの試みだ。
東洋人 (オリエンタル) と呼ぶことは、少なくとも軽い侮辱になる。
この呼称は、すでに存在しない ・・・・・ 少なくとも地図上にはない ・・・・・ 関係を、呼びおこすからだ。
だが、アジア人であればだれでもすぐに見抜くように、われわれのあいだで、オリエンタリズムはもはや過去の習慣になったというわけではない。
われわれのオリエンタリズムが何世紀も昔の観念を忠実に守っている点ばかりは、驚くべきものがある。
西洋社会の人間関係は水平だが、日本の社会は 「タテ」 社会であるとか、西洋人は競争を好むが、日本人は妥協を好むといった観念だ。
1995年、地震が神戸を襲ったとき、あるアメリカの新聞記者はこの都市を
「寿司がもっとたくさんあるニューヨークの対蹠地 (たいしゃくち)」
と形容した。
さらに、アジア人は自然災害を、時間を超越した物事の秩序の一部としてストイックに受け入れるから、「神戸の日本人は理想的な被災者だ」と、書いていた。
ワイルドのオリエンタリズム観には特異な一面があった。
海外における前世紀の日本のイメージを、一部は日本人自身による作り事とみていたのだ。
すなわち、日本人とは 「ジャポニスム」 の最盛期に一世を風摩した木版画の作者、北斎などの芸術家による 「じっくりと考え抜かれた自意識の産物」 だと言い切っていた。
これは並はずれた卓見だった。
歴史上の日本の多くの指導者や思想家についても、同じことが言えよう。
「ジャパン」 が長いあいだ日本人の想像物だったことを考えれば、一部の日本人を 「オリエンタリスト」 呼ばわりしても問違いとは言えない。
『日本人だけが知らない日本のカラクリ』
新潮社2000年発行、p.16より引用、パトリック・スミス著 (米国人ジャーナリストで元ニューヨーク・タイムズ記者)
古くからの習わしで日本の女性はたしかに歯を黒く染めた。
今日の日本人もあきらめがいいほうだ。
また、日本の錠前といえば、これに悩まされた最初の外来者たちが繰り返し述べたように、いまだに、西洋とは反対に、キーを右側にではなく左へまわして開ける。
しかし、こうした観項がいささか滑稽に聞こえるのはなぜだろうか。
どうして神秘的な小人が住むといった長く幅をきかせる観念を生んでしまったのだろうか。
初期の旅行者は日本があまりに遠く離れていたために、視座 (パースペクテイヴ) というものを見失っていた ・・・・・ つまりは、もののつながりがみえなかったのだろう。
その結果として、日本人は自分たちの歴史 ・・・・・ その 「大小の相違」 を解くべき過去というもの ・・・・・ を認めてもらえなかったのだ。
オリエンタリズムは帝国から発展した。
その特色のひとつは観察される側にたいする観察者の立場にあった。
観察する側がかならず優位にあった。
エドワード・サイードが著書 『オリエンタリズム』 のなかで強調するように、知的慣行は権力と物質的恩恵にもとづく関係を反映していた。
かくして、オリエンタリズムは19世紀に大帝国を築いた英国とフランスで全盛期をむかえた。
日本は正式には一度もどこかの帝国に領有されたことはなかったが、帝国領とかかわりのあるオリエンタリズムから、まず免れようがなかった。
日本の対欧関係は同じ物質的利害にもとづいており、ヨーロッパ側に同じ身勝手な優越意識があることを特徴としていた。
今日、われわれは、インド、インドネシア、台湾、あるいは日本からきた人を、東洋人 (オリエンタル) ではなくアジア人 (エイシアン) と呼ぶ。
この呼び方は、人間の複雑性と多様性、それに平等性を認めようとするせめてもの試みだ。
東洋人 (オリエンタル) と呼ぶことは、少なくとも軽い侮辱になる。
この呼称は、すでに存在しない ・・・・・ 少なくとも地図上にはない ・・・・・ 関係を、呼びおこすからだ。
だが、アジア人であればだれでもすぐに見抜くように、われわれのあいだで、オリエンタリズムはもはや過去の習慣になったというわけではない。
われわれのオリエンタリズムが何世紀も昔の観念を忠実に守っている点ばかりは、驚くべきものがある。
西洋社会の人間関係は水平だが、日本の社会は 「タテ」 社会であるとか、西洋人は競争を好むが、日本人は妥協を好むといった観念だ。
1995年、地震が神戸を襲ったとき、あるアメリカの新聞記者はこの都市を
「寿司がもっとたくさんあるニューヨークの対蹠地 (たいしゃくち)」
と形容した。
さらに、アジア人は自然災害を、時間を超越した物事の秩序の一部としてストイックに受け入れるから、「神戸の日本人は理想的な被災者だ」と、書いていた。
ワイルドのオリエンタリズム観には特異な一面があった。
海外における前世紀の日本のイメージを、一部は日本人自身による作り事とみていたのだ。
すなわち、日本人とは 「ジャポニスム」 の最盛期に一世を風摩した木版画の作者、北斎などの芸術家による 「じっくりと考え抜かれた自意識の産物」 だと言い切っていた。
これは並はずれた卓見だった。
歴史上の日本の多くの指導者や思想家についても、同じことが言えよう。
「ジャパン」 が長いあいだ日本人の想像物だったことを考えれば、一部の日本人を 「オリエンタリスト」 呼ばわりしても問違いとは言えない。
『日本人だけが知らない日本のカラクリ』
新潮社2000年発行、p.16より引用、パトリック・スミス著 (米国人ジャーナリストで元ニューヨーク・タイムズ記者)
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