岩見隆夫 高樹のぶ子の「拉致論」1
投稿者: nigakudo72 投稿日時: 2002/12/19 08:17 投稿番号: [32876 / 232612]
高樹のぶ子さんの「拉致論」に反論
十二月一日付『毎日新聞』のコラム〈時代の風〉で、作家の高樹のぶ子さんが、 〈拉致問題への対応を問う〉
というタイトルで書いた論文があちこちで評判になっている。私の耳に届くのは、 「よくぞ書いてくれた」
と共感を示す声が断然多い。高樹さんと同じような感覚で拉致問題を見つめている日本人が相当数いることを裏づけている。
反論がほとんど聞こえてこないのは、作家の巧みな描写力、構成力のまえにたじろいでいるのかもしれないが、私は強い違和感を持った。二千二百字余の論文の、違うなあ、と思う個所に赤ペンで線を引いていったら、真っ赤になってしまった。
何が違うのか、と言えば、まず国とは何か、次に外交交渉とは何か、そして、もうひとつ、北朝鮮という国の理解度の問題、の三点である。それぞれが二十一世紀の初頭、日本と日本人がぶつかっている基本テーマにかかわる。
高樹論文を読んでいない方のために要旨を書きたいのだが、微妙なニュアンスの表現が多く、これがむずかしい。そこで、三点について、核心になると思われる部分を引用しながら、反論を試みることにする。
生存して帰国できた拉致被害者五人の扱いが終始、論文の中心テーマだが、高樹さんは、 〈たとえうまく行って北朝鮮の家族が日本に永住出来たとしても、その人たちの心の根は、故郷から切り離されて、生涯ヒリヒリと痛み続けるだろう。「個」とは「国家」に対して、何と無力なものかと思うばかり〉
と言う。
私はまったくそう思わない。ヒリヒリの問題はあとに譲るとして、いまは日本という「国家」が「個」をどこまで保護できるかの瀬戸際に立っている。「個」が無力というより、「国家」が無力と烙印を押されるかもしれないきわどい場面なのだ。
犯罪から国民(個人)を守るのは、国の責任であり、義務である。国内犯罪には警察力が発動されるが、それが及びにくい国際犯罪、とりわけ国家による犯罪の被害者救出に、国の外交力を駆使しなければならないのは当然すぎることだ。
今回は北朝鮮という国が、日本人拉致という信じがたい蛮行を犯し、それを認めて謝罪した。謝罪したからには、被害者を速やかにもとの姿に戻すのが、私たちの常識だが、北朝鮮の感覚は違うらしく、いまも拉致問題を外交カードに使っている。
これは メッセージ 1 (mitokoumon_2002 さん)への返信です.
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