オヤジ保守が嫌いなための(3)
投稿者: nihonkai_no_namida 投稿日時: 2010/03/16 23:08 投稿番号: [231988 / 232612]
冷戦の前後で図式が逆転
この図式が意味することは何なのでしょうか。
憲法にせよ、教育基本法や戦後教育システムにせよ、戦後日本の体制の基軸です。戦後日本の国の柱は、公式的に言えば、国民主権、基本的人権、平和主義を三本柱とする憲法、そして自由と平等、個性尊重を基軸に掲げる戦後教育です。
「左翼」は、この戦後体制を守ろう、もしくはその理念をもっと実現しようと言っている。戦後の認識について言えば、この戦後体制を守ろう、もしくは、園理念をもっと実現しようと言っている。戦後の認識に浮いて言えば、左翼は徹底して「体制派」です。いわば「戦後体制」の優等生が「左翼」ということになります。
これに対して、むしろ、「保守」のほうが「反体制的」と言えます。少なくとも心情的には、戦後社会に強い違和感を持ち、憲法や戦後教育に対して批判的です。
左翼=反体制派、保守=体制べったり、と多くの人が思っています。だが、これはかつての話、冷戦体制の時代のことです。冷戦体制の下では、確かに、左翼は、あわよくば革命でも起こして社会主義を実現したい、と考えていた。これは確かに反体制的でしょう。これに対して保守のほうは、自由主義的な資本主義陣営を守りたい、と考えている。その意味では、体制派でした。
しかし、冷戦は終わりました。すなわち、もうこのような図式は成り立たない、ということです。実際、「左翼」が「サヨク」に変わったとき、進歩主義運動は、もはや、体制を変革して、社会主義のような新たな社会を作り出すのではなく、自由や民主主義、人権、平和主義などを謳った戦後日本を全面的に肯定し、ともかくも、戦後日本という枠組みを守っていくという体制的なものへと変わってしまったのです。
それに比べ、冷戦以降、いわゆる「保守」の側からこそ戦後日本を変えていこうと言う様々な問題が提示されてきました。近年、最も真正面から「保守」を唱えた安倍前首相の掲げたテーマからして、「戦後レジームからの脱却」だったのです。
これは、「戦後体制」の根本的変革、ということです。これほどまでに正面から、「現体制」の変革を唱えた政治家はいません。しかも政権政党の党首で、一国の首相が、「現体制」の変革を訴えるという、驚くべき提案です。
しかし、「左翼」はこれに反対した。ある左翼のコメンテーターが、テレビで「いったい、体制を変える、ということをしてもいいのでしょうか」などというコメントをしていました。左翼と言えば「反体制」の代名詞だった時代を思うと、冗談のような話です。
それでは、冷戦以降、日本の思想の図柄は、わかりやすく整理できるのでしょうか。どうも、そうではありません。確かに、左翼=戦後体制の擁護、保守=戦後体制の批判、というよな構図がいちおう描けます。憲法問題、ナショナリズムや歴史認識などについて、両者は対立してきました。しかし、それでわかりやすく「左翼」と「保守」を定義できるかというと、そうでもないのです。
左翼の側からは、リベラリズムやポストモダニズムやフェミニズムなど、政治学や社会学の研究者による沢山の書物が出版され、さまざまな議論がなされています。しかし、現実の日本とのかかわり、ということで言えば、ほとんどインパクトのある問題は提示できていません。
それもそのはずで、今述べたように、左翼は、基本的に戦後の体制を擁護すればよいからです。それを根本的に変革しようとするものに対して反対すればよい。憲法改正に反対、教育基本法改正に反対、「新しい歴史教科書」に反対、日米の集団的自衛権に反対、といった具合です。
では保守派はどうか。
冷戦以降、様々なレベルで「変革」を求めてきたのは保守派でした。それでは、保守派の議論はもっともだったのか、というと必ずしもそうではありません。
考えてみれば、そもそも「保守」とは、本質的に変革を嫌うものであるはずです。だから、保守が「変革」を訴えるときには、かなり注意が必要なのです。その意味するところを注意深く見ておく必要があります。
(つづく)
この図式が意味することは何なのでしょうか。
憲法にせよ、教育基本法や戦後教育システムにせよ、戦後日本の体制の基軸です。戦後日本の国の柱は、公式的に言えば、国民主権、基本的人権、平和主義を三本柱とする憲法、そして自由と平等、個性尊重を基軸に掲げる戦後教育です。
「左翼」は、この戦後体制を守ろう、もしくはその理念をもっと実現しようと言っている。戦後の認識について言えば、この戦後体制を守ろう、もしくは、園理念をもっと実現しようと言っている。戦後の認識に浮いて言えば、左翼は徹底して「体制派」です。いわば「戦後体制」の優等生が「左翼」ということになります。
これに対して、むしろ、「保守」のほうが「反体制的」と言えます。少なくとも心情的には、戦後社会に強い違和感を持ち、憲法や戦後教育に対して批判的です。
左翼=反体制派、保守=体制べったり、と多くの人が思っています。だが、これはかつての話、冷戦体制の時代のことです。冷戦体制の下では、確かに、左翼は、あわよくば革命でも起こして社会主義を実現したい、と考えていた。これは確かに反体制的でしょう。これに対して保守のほうは、自由主義的な資本主義陣営を守りたい、と考えている。その意味では、体制派でした。
しかし、冷戦は終わりました。すなわち、もうこのような図式は成り立たない、ということです。実際、「左翼」が「サヨク」に変わったとき、進歩主義運動は、もはや、体制を変革して、社会主義のような新たな社会を作り出すのではなく、自由や民主主義、人権、平和主義などを謳った戦後日本を全面的に肯定し、ともかくも、戦後日本という枠組みを守っていくという体制的なものへと変わってしまったのです。
それに比べ、冷戦以降、いわゆる「保守」の側からこそ戦後日本を変えていこうと言う様々な問題が提示されてきました。近年、最も真正面から「保守」を唱えた安倍前首相の掲げたテーマからして、「戦後レジームからの脱却」だったのです。
これは、「戦後体制」の根本的変革、ということです。これほどまでに正面から、「現体制」の変革を唱えた政治家はいません。しかも政権政党の党首で、一国の首相が、「現体制」の変革を訴えるという、驚くべき提案です。
しかし、「左翼」はこれに反対した。ある左翼のコメンテーターが、テレビで「いったい、体制を変える、ということをしてもいいのでしょうか」などというコメントをしていました。左翼と言えば「反体制」の代名詞だった時代を思うと、冗談のような話です。
それでは、冷戦以降、日本の思想の図柄は、わかりやすく整理できるのでしょうか。どうも、そうではありません。確かに、左翼=戦後体制の擁護、保守=戦後体制の批判、というよな構図がいちおう描けます。憲法問題、ナショナリズムや歴史認識などについて、両者は対立してきました。しかし、それでわかりやすく「左翼」と「保守」を定義できるかというと、そうでもないのです。
左翼の側からは、リベラリズムやポストモダニズムやフェミニズムなど、政治学や社会学の研究者による沢山の書物が出版され、さまざまな議論がなされています。しかし、現実の日本とのかかわり、ということで言えば、ほとんどインパクトのある問題は提示できていません。
それもそのはずで、今述べたように、左翼は、基本的に戦後の体制を擁護すればよいからです。それを根本的に変革しようとするものに対して反対すればよい。憲法改正に反対、教育基本法改正に反対、「新しい歴史教科書」に反対、日米の集団的自衛権に反対、といった具合です。
では保守派はどうか。
冷戦以降、様々なレベルで「変革」を求めてきたのは保守派でした。それでは、保守派の議論はもっともだったのか、というと必ずしもそうではありません。
考えてみれば、そもそも「保守」とは、本質的に変革を嫌うものであるはずです。だから、保守が「変革」を訴えるときには、かなり注意が必要なのです。その意味するところを注意深く見ておく必要があります。
(つづく)
これは メッセージ 231987 (nihonkai_no_namida さん)への返信です.